週刊エコノミスト 2004/8/12
ブロードバンド(高速通信)は、ITバブル期の通信業界の世界共通の合言葉だった。欧米では、ワールドコム、グローバル・クロッシングなどが、ブロードバンドに巨額のインフラ投資を行ったが、全滅した。そんな中で、日本で「ブロードバンド革命」が実現した最大の功労者はソフトバンクだが、その背景にはさまざまな偶然があった。
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第一の偶然は、ソフトバンクに米国ヤフーなどでもうけた豊富な自己資金があったことだ。孫氏が最初に通信事業に参入したのは、1999年にマイクロソフト・東京電力とともに手がけた「スピードネット」である。これは無線LANによって公衆通信網を構築しようという斬新な発想だったが、東電と戦略が一致せず、ソフトバンクは撤退した。次にソフトバンクが注目したのが、DSL(デジタル加入者線)だった。これは当時、不安定で減衰も大きく、FTTH(家庭用光ファイバー)までのつなぎのインフラと見られていた。米国では、1996年電気通信法で加入者線が開放されることになり、独立系のDSL業者が多数参入したが、バブル崩壊で破綻した。日本でも、1997年の電気通信事業法改正で加入者線の開放義務が定められ、東京めたりっく通信などがDSL事業に参入したが、挫折した。
ソフトバンクは、2001年にめたりっく通信を買収するとともに「ヤフーBB」によってDSLへの参入を表明した。このとき、ヤフーBBは他社の半額以下の料金を出したが、スピードネットのようにすぐ行き詰まって撤退するだろうというのが大方の見方だった。しかし、バブル崩壊で「時価総額経営」の行き詰まった孫氏にとって、通信インフラは最後の大博打であり、ここで失敗すると後がなかった。サービス開始から3年たっても、ヤフーBBは年間500億円以上の営業赤字を出している。生き延びているのはソフトバンクが保有株の切り売りで投資を続けているからだが、社債の格付けは「投機的」で、資金調達は困難だ。今の冒険的な投資がいつまで続けられるのかは疑問である。
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第二の偶然は、規制改革にNTTが協力したことだ。どこの国でも、インフラ開放の最大の障害は電話会社の妨害である。主配線盤の開放が義務づけられても、ラックが置けないと多重化装置(DSLAM)が使えない。ラックの開放を義務づけると、今度は冷房装置…というように際限なく設置を遅らせることができ、その間にバブルが崩壊して欧米の独立系DSL業者は破綻した。NTTも、最初は設備の「テスト」に1年近くかけるなど抵抗したが、ソフトバンクは徹底的に闘った。電話局に孫氏がみずから出向いて、「これ以上、意地悪されたらソフトバンクはつぶれる。解決するまで帰らない」と座り込んだこともある。彼は政府の「IT戦略会議」のメンバーとなり、NTTの宮津純一郎社長に開放義務の早急な実行を迫った。
他方NTTは、IT戦略会議で社長が「世界最先端のIT国家」建設に協力すると表明した以上、インフラ開放を進めざるをえなかった。2000年に、NTT東西がインフラ開放を遅らせていると公取委に警告されたことも、ながく国営企業だったNTTにとっては衝撃だったという。また日米の接続料交渉で、NTTは接続料の引き下げ幅を圧縮する取引材料としてインフラ開放を進めた。当時の状況では、年間7000億円近い接続料収入に対して、DSLなどは取るに足らないと考えていたからだ。
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第三の偶然は、通信技術の急速な進歩である。孫氏がDSLへの進出を決意したのは、2000年にNTT東西のダークファイバーの開放が決まったときだという。ダークファイバーとは光の通っていない芯線で、それだけ借りても通信することはできない。当時は、他の業者もNTTの専用線を借りていたが、その料金は高く、コストを圧迫していた。 ところがダークファイバーの料金は、1メートルあたり年間51円と、世界最低水準に規制された。ソフトバンクはこれに着目し、専用線を使わないで、ダークファイバーをギガ(十億)ビット・イーサネットのハブ(中継器)につないで中継網を構築した。
イーサネット、つまりLAN(構内通信網)で全国的な中継網を構築するという発想は、当時としては常識はずれだった。素人のソフトバンクにネットワークの運用ができるはずがない、とNTTの技術陣は冷ややかに見ていたが、ヤフーBBは(通信品質は高いとはいえないが)動いた。NTTの専用線で使われているATM交換機は、1台数億円するのに対して、DSLAMは約100万円、ギガビット・イーサネットのハブは数万円だ。インターネットの機材は構造が単純で、世界中どこでも使えるので、保守はメーカーにまかせればよい。自前でネットワークを組むことで、日本で初めてNTTの技術にも総務省の天下り役員にも依存しない独立系のネットワークができたのである。
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ソフトウェアの卸し売りからドットコムへの投資、そしてインフラ事業へという孫氏の軌跡をたどると、一貫した理念は見られない。その場当たり的な戦略が今のところ成功したように見えるのも、以上のような偶然が重なったためだ。ソフトバンクが日本の通信業界の談合体質を打破した功績は大きいが、NTTを攻撃しながら規制を利用してNTTのインフラにぶら下がる手法は、在来のNCC(新通信事業者)とあまり変わらない。 しかし次世代のインフラであるFTTHは、自前で引かなければならない。これまでソフトバンクは、アウトサイダーとして規制のすきまでビジネスをやってきたが、日本テレコムの買収によってインサイダーとなった今後は、規制を撤廃しない限り、大きな成長は望めない。
インフラ事業は、もともともうかるビジネスではない。ソフトバンクは、インフラをIP(インターネット・プロトコル)電話やケーブルテレビと「垂直統合」してもうけようとしているが、IP電話は普及すればするほど無料に近づく。ケーブルテレビも、地上波放送を配信できないため、加入者は数千人だ。最大の課題である携帯電話への進出も、今の免許制の枠の中ではむずかしい。放送局が、使ってもいない膨大な帯域を押さえているからだ。加入者系のブロードバンドとして有力なのは無線LANであり、かつてのスピードネットの戦略は今でも有効だが、使える周波数帯がない。いまソフトバンクが直面しているのは、「電波利権」という日本最後のタブーである。ここで妥協して第三のNCCに終わるのか、それとも規制を打破する本当の革命児になるのか、ソフトバンクの真価が問われるのはこれからだ。