Law/Politics

フランス革命は正しかったのか

総選挙では民主党が「革命的な変化」を強調したのに対して、自民党は保守主義の立場から「継続的変化」を主張した。これは昔から続いている論争で、歴史の教科書ではフランス革命は近代社会を生み出した偉大な出来事とされているが、バークからハイエクに至る保守主義にとっては、それは理性や人権の名のもとに大量殺戮を行ない、ロシア革命に至る「計画主義」の端緒となった大規模テロリズムだということになっている。

経済学者のほとんどは後者の立場だが、Acemoglu et al.はこの通説に挑戦し、数量経済史的な手法でバークが誤っていたと主張する。彼らは当時の人口データを使って、図のようにフランス革命とナポレオン戦争によって占領された地域で都市化(人口の都市集中)が進み、成長率が上がったことを示している。補完的な制度は「ビッグバン」によって一挙に変えないとだめなのだ、と彼らは主張する。フランス革命はすべてを破壊したため、アンシャンレジームに戻すことが不可能になったのだ。
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Acemogluたちは「経済発展にとっても最も重要なのは民主主義や財産権の保護などの制度である」と主張しているが、これに対して台湾や韓国の例をあげて、逆に「経済が発展すれば民主主義になるのだ」として、むしろ経済発展には「開発独裁」のほうが効率がいいと主張する人々も多い。この論文は、フランス革命とナポレオン戦争が全欧の旧秩序を破壊したことが近代化の原因だったことを示し、「制度が経済に先立つ」と主張している。たしかに欧州ではそうだったかもしれないが、これがそれ以外の文化圏にも適用できるのかどうかは疑わしい。最大の反例は中国だろう。

小沢幹事長は「二重権力」になるか

民主党の幹事長に小沢一郎氏が内定し、「二重権力」が懸念されているが、先日の「闇将軍」の記事を書いたTobias Harrisは、小沢氏は過去の失敗から学んだはずだと期待している。私も、16年前とは状況が違うので、あのときのような混乱は起こらないと思う。その理由は、諸悪の根源だった社会党が消滅したからだ。

細川内閣は偶然の産物で、連立政権といっても統一した政策はほとんどなく、与党第一党は社会党だった。内閣が崩壊した遠因は、今では記憶している人も少ないと思うが、社会党の山花貞夫委員長の「敗戦の弁」だった。彼は社会党の右派で、党内の主流だった左派の反対を押し切って連立に参加し、政治改革担当相として入閣した。ところが組閣後の幹部会で「敗北の責任をとる」と言い出した。

山花は、当選者は減ったとはいえ政権を取ったのだから慰留されると思って修辞的に言ったのだが、党内では「踏まれてもついて行きます下駄の雪」と揶揄された新生党の小沢代表幹事の強引な政権運営に対する不満がつのっていたため、山花の辞意は承認されてしまった。次の委員長選挙で左派の村山富市氏が当選し、政権の中で同じく不満分子だった武村正義さきがけ代表が村山氏を抱き込んで自民党と手を結んだ。

武村氏は連立政権で総理の座をねらっていたが、それを小沢氏に阻止されたため、社会党の野坂浩賢と自民党の梶山静六などが「国対ルート」で築いた人間関係を利用して、社会党の委員長を首相にするという「禁じ手」を使って、連立政権を倒すクーデタを実行した。このとき小沢氏は海部俊樹氏を引き込んで「保保連立」をはかろうとしていたが、武村氏はその裏をかき、政局のために政治理念を捨てて自社を野合させてしまったのだ。

これがその後の日本政治の迷走の原因であり、混乱の主犯は小沢氏ではなく、理念なき「バルカン政治家」武村氏である。その後、鳩山兄弟が民主党を結成したとき、このときの武村氏の策動を批判し、「排除の論理」で彼の参加を拒んだ。したがって鳩山由紀夫氏も、さきがけの失敗の原因が理念を捨てて政局に走ったことだと考えているだろうから、その失敗は繰り返さないと思う。

それにもう社民党は、参議院では5議席もっているだけのゴミみたいな政党だ。民主党も一応、連立協議をしているが、象とアリぐらいの差があるので、「下駄の雪」扱いしたってかまわない。社民党が「インド洋の給油反対」などの極左的な方針をとったら、たたき出せばいいのである。政権を離れたら誰も相手にしないので、鳩山氏もご存じのナッシュ交渉解でいえば、社民党の威嚇点(交渉が決裂した場合の利得)はゼロに等しく、いくら脅してもついてこざるをえない。

この16年、日本政治を迷走させてきた一つの要因は小沢氏の失敗だが、本当の原因は政権を取る気もないのに「総評(連合)政治部」として労働組合の既得権を主張し、「何でも反対」の幼児的な政策を唱え続けてきた社会党と、それを利用して政権を延命した自民党である。このように「政策より政局」を旨としてきた無内容な政党が政権から追放されたのは一歩前進だ。あとは来年の参院選で社民党が消滅し、民主党の単独政権になれば、日本の政治も変わるだろう。

霞ヶ関というITゼネコン

民主党の圧勝は、予想以上に大きな変化をもたらすかもしれない。ここまで大差になれば、参議院のねじれも自民党からの鞍替えや公明党の「中立化」によって解決でき、実質的に民主党単独政権になる可能性がある。そうなれば、小沢一郎氏の悲願だった「強い与党」として、思い切った改革もできよう。特に重要なのは、民主党がマニフェストにかかげた「官僚主導の政治の打破」である。

その試金石は、すぐやってくる。来年度予算の編成だ。例年なら、きょう概算要求が出そろって省庁間の話し合いも7割ぐらいついているが、今年は民主党が「国家戦略局」によってゼロベースで見直すとしているので、各省庁とも骨格しか出していない。新組織は「戦略室」として発足を急ぐそうだが、スタッフの人事が完了するには、どう急いでも1ヶ月はかかる。正味3ヶ月で一般会計+特別会計の200兆円をゼロから見直すのは、現実には無理だろう。細川政権のときも、政権が成立したのは8月だったが、翌年度の予算はほとんど手つかずで、「国民福祉税」など、かえって大蔵省主導が強まった。

大事なのは、国家戦略局の制度設計である。私がこれまで民主党の政策決定を外野でみていて危惧するのは、自前主義が強くて専門家の意見をあまりきかないことだ。数ヶ月前に、私が「民主党の政策には成長戦略が欠けている」と政調会長も出席した勉強会で指摘したのに、きいてくれなかった。選挙戦に入ってから自民党に指摘されて、あわててマニフェストを修正する始末だ。

このように専門家を軽視する自前主義は、霞ヶ関とよく似ている。官僚が審議会の委員に選ぶのは、自分たちのいうことをきく御用学者だけで、結論も役所が用意する。霞ヶ関が日本最高のシンクタンクだと信じているからだ。民主党内でも、自前のシンクタンクをつくろうという話があったが、小沢一郎氏は「政権を取ったら霞ヶ関を使えばよい」として自前主義を続けてきた。

たしかに個々の官僚は優秀だし、清潔だ。しかし組織になると、自己保存本能が強く働き、権限や予算を拡大した者が出世する。それをチェックしようとしても、政策が法律によってスパゲティ状にコード化され、省庁間で合意形成されているため、その内部構造を理解しないと手がつけられない。結果的に法案化作業はブラックボックスになり、自民党の政治家はペラ1枚だけみてOKを出し、官僚は実装の段階で省益を最大化するようにコーディングしてきた。英米型のシステムでは議員の政策を議会事務局が法案化するが、日本では法案化が官僚機構に丸投げされているため、立法機能が実質的に行政と垂直統合され、政策の中身まで官僚に囲い込まれているのだ。

これはゼネコン構造とよく似ている。きのうネットラジオ中継で、ITゼネコン出身の田端信太郎氏が「設計段階から丸投げされたら、自社のシステムでないと動かないように設計するのは当たり前だ」といっていた(*)。システムの設計を独自規格で囲い込み、アプリケーションも同じ会社でないと開発できないようにして末永くもうけるのが優秀な営業だ。この構造を変えないまま政治家を霞ヶ関に100人送り込んでも、今の副大臣や政務官のように「お客さん」になるだけである。

ITゼネコンが役所を食い物にするのは、官僚が専門知識をもっていないからだ。同じように官僚が政治家を食い物にしてきたのも、政治家が地元利益にしか関心のない素人だからである。「政治主導」を実現するには、自前主義を捨てて国家戦略局に外部の専門家を入れ、各省庁の法令担当を戦略局に集めて議会事務局のような機能をもたせる必要がある。民主党には「日本版ケネディスクール」をつくって自前の政策スタッフを養成しようという構想もあるようだが、そこでも法案化の訓練が重要だ。このようにして立法と行政を水平分離することが、官僚主導を打破する第一歩である。

(*)田端氏によれば、このテクニックを業界では「シャブ漬け」というそうだ。のりピーより、こっちのほうがはるかに深刻な中毒だ。

Shadow Shogun


選挙報道では、日本のメディアより海外メディアのほうがはるかに的確なコメントをしていた。彼らが注目しているのは、もう明白な選挙の結果よりその後の人事だ。特に100人以上の「小沢チルドレン」が当選して、かつての田中派のような「党中党」になりそうな小沢グループの動向が焦点だ。1993年の細川政権のときの小沢一郎氏の政策は高く評価されているが、彼が幹事長になると「二重権力」になって政策決定が不透明になるので重要閣僚として処遇すべきだ、とForeign Policyはアドバイスしている。

私は宮沢政権末期に、竹下派の事務総長だった小沢氏にインタビューしたことがあるが、そのころの彼は輝いていた。その後の16年間、不幸なことに彼を超える政治家はあらわれなかった。今の民主党のバラマキ福祉路線は、彼の本音ではないだろう。あのときの理想に立ち返り、全部リセットしてはどうだろうか。どうせ誰もあのマニフェストが実現できるとは思っていないし、政権交代は約束を破ることなのだから。

今夜はライブドアのネットラジオでdankogaiと一緒に開票速報にコメントすることになった。日本政治の「失われた15年」を取り戻すにはどうすればいいか、twitter中継もまじえて議論したい。

「東アジア共同体」という幻想

鳩山氏のNYT論文は、予想どおりアメリカの専門家に酷評されている。
オバマ政権は、(鳩山氏の)論文にある反グローバリゼーション、反アメリカ主義を相手にしないだろう。それだけでなく、この論文は、米政府内の日本担当者が『日本を対アジア政策の中心に据える』といい続けるのを難しくするし、G7の首脳も誰一人として、彼の極端な論理に同意しないだろう。
中国が最大の対米輸出国になった時代に、グローバリゼーションを否定して「東アジア共同体」なるものを提唱する発想は信じられない。これもどうせ政権についたら修正するリップサービスだろうが、鳩山家に代々受け継がれている「反米のDNA」もあるのかもしれない。

鳩山一郎はハト派ではなく、自民党の「右派」の源流の一つである。岸信介ほど過激な国家社会主義者ではなかったが、ロンドン海軍軍縮条約を「統帥権干犯」だと攻撃し、これがのちにGHQにとがめられて公職を追放された。戦後も、吉田茂が引退したあと「対米自立」をめざして安保条約や憲法を改正しようとしたが、果たせなかった。鳩山由紀夫氏は、こうした祖父以来のナショナリズムを継承しているのだろう。

親米(欧)か反米(親アジア)かというのは、明治以来、日本の国家戦略の大きなわかれめだったが、戦前には前者は少数派だった。福沢諭吉の「脱亜入欧」はアジア蔑視として批判を浴び、北一輝や石原莞爾などの国家社会主義者は中国との連帯をめざした。それが満州国や中国侵略に拡大し、最後は対米戦争という自殺行為にゆきついた。

思想的にも、「近代の超克」などの議論は、鳩山氏の「グローバリズム批判」よりはるかにレベルが高かった。社会を原子的個人に分解する近代化が伝統的社会に亀裂を生み、人々の精神的荒廃をもたらしているという批判は文明論としては正しいが、日本がそれに代わって発見したと称する「大東亜」の価値観は、単なる軍事的プロパガンダに成り下がった。

現在の地政学的な状況をみても、東アジアがEUのような共同体になれる条件はない。第1に中国や北朝鮮という社会主義国を含み、政治的な合意が不可能だ。第2に国家の共同体とは基本的に軍事同盟であり、日本と中国が共同の敵と闘う事態は考えられない(中国が敵になる可能性はあるが)。第3に経済発展のレベルや賃金水準が違いすぎ、完全な自由貿易圏にして(EUのように)移動の自由を保障したら、中国から数億人の移民が日本に押し寄せるだろう。

しいて共通点をあげれば、漢字文化圏で地理的に近いことぐらいだろう。しかし渡辺利夫氏も指摘するように、これは錯覚である。日本と欧米のほうが日本と中国よりはるかに文化的共通点が多く、政府が反日感情を国民に植え付けてきた中韓と「和解」するのは容易ではない。海を介した海洋国家同盟においては日米同盟も日中同盟も大した違いはなく、サイバースペースでは地理的な距離そのものに意味がない。

要するに、東アジアで共同体を構築できる客観的条件はないし、それは望ましくもないのである。それよりFTAやEPAで個別に自由化を進めるのが現実的だ。もっとも日米FTAに農協がツッコミを入れたぐらいで腰砕けになる民主党が、東アジア自由貿易圏のリーダーになれるはずもないので、アメリカ政府が心配するには及ばないが。

約束を破るメカニズム

最近、麻生首相は「政権交代ではなく政策選択を」というようになった。たしかに政権交代は手段にすぎないので、それによって政策がよくなるのかどうかが問題だが、政権が交代しないとできないこともある。

沖縄返還の際の密約について、外務省はようやく元局長の裁判への出廷を認めた。これは民主党が「政権をとったら密約に関する公文書を公開する」といっているため、方向転換したものだろう。当ブログでも何度も書いているように、これはアメリカでは公文書が公開されているので、もはや密約でさえない。

ところが外務省は「アメリカが勝手に作ったメモだ」などという言い訳で密約の存在を否定してきた。密約を結んだ共犯者である自民党政権が続くかぎり、この明白な嘘をくつがえすことはできない。こういうときは、そういうコミットメントのない民主党が政権につくことによって、外務省との暗黙の契約を破ることができる。だから政権交代すること自体に意味があるのだ。

これは企業買収(特にLBO)によって資本効率が上がる原因でもある。企業では経営者と従業員が雇用や賃金などについて多くの暗黙の契約を結んでいるので、同じ企業が存続するかぎり、この約束を破ることができない。LBOは、企業の所有権を移転することによって、新しい経営者が「そんな約束は知らない」といって人員整理する約束を破るメカニズムである、とJensenはのべた。

いま日本に必要とされているのも、政治家や経営者をがんじがらめにしている暗黙の契約を破ることだ。もちろんカウンターパートにしてみれば、天下りを当てにして地獄の残業を続けてきたのに、その「配当」をもらおうとしたら約束が破棄されるのではたまったものじゃない、という不満もあるだろう。LBOは資本家によるホールドアップ(事後的な機会主義)だというSummers-Shleiferの批判もある。

しかし公平にみて、今の日本で長期的な約束をすべて守り続けることは不可能である。90年代にも、大蔵省は護送船団行政の約束を守ろうとして問題を先送りした結果、不良債権を10倍以上に増やしてしまった。すでに実態が破綻している財政と年金を改革しないまま、さらにバラマキを続けたら、今度は日本経済全体が破綻する。たとえば年金を確定拠出に切り替えるとか支給年齢を大幅に上げるとかすると「約束が違う」と騒ぐ人々が出てくるだろうが、どこかでリセットすることは避けられない。先送りすればするほど破局は大きくなり、将来世代に大きな負担がかかる。

ところが民主党は後期高齢者医療制度も廃止し、福祉予算の増加を抑制する目標も廃止するという。おまけに民主党の支持団体でもない農協の脅しに屈して、日米FTAを引っ込めてしまった。鳩山氏のような「やさしい」性格では、暗黙の契約を破ることはむずかしい。かつて国民が小泉純一郎氏を歓迎したのは、彼が自民党をぶっ壊して過去の約束を「知らない」といえるキャラクターだったからだ。

この意味では政権交代は必要条件ではなく、約束を破れるリーダーが出てくれば、行き詰まりが打開できる可能性もある。カルロス・ゴーンが日産を再建したのは、「私はそんな話は聞いていない」といえたからだ。そのとき日産の幹部は「ゴーンさんのやったのは私たちが提案したこと。何をやるべきかは社員がみんな知っていた」といっていた。たぶん今の日本でも、国民は何をしなければならないかを知っているだろう。鳩山氏に必要なのは、約束を破る勇気だけである。

鳩山氏の攻撃する間違った敵

Economistの総選挙についてのコメントも、Newsweekとほとんど同じだ。鳩山由紀夫氏の「友愛」は、日本人だけでなく西洋人にも理解できないようだ。すでに鉄壁の保護を受けている農民を「グローバリズムから守る」ことがfraternityだって?
Mr Hatoyama railed against American-led “market fundamentalism” that, he said, the LDP had embraced since Mr Koizumi’s leadership. But his alternative is a mushy-sounding concept, yuai, that mixes up the Chinese characters for friendship and love. He calls it fraternity, and says it means that activities such as agriculture - already under Fort Knox-like protection in Japan - will not be left “at the mercy of the tides of globalism”.
この記事では、特に労働市場の問題について鳩山氏が理解していないことを指摘している。中国との競争が激化するなかで、日本企業に足枷をはめる雇用規制の強化は、ほとんど自殺的な政策だ。
The DPJ’s policy platform, for instance, proposes undoing one of the main Koizumi reforms by banning the use of temporary labour in manufacturing. It also wants to raise minimum-wage levels. Exporters fighting for business in China deplore both policies.
鳩山氏が小泉氏を非難するのは、お門違いである。「失われた20年」をまねいたのは自民党の古臭い経済政策であり、小泉政権はそれを変えたのだ。格差が拡大したのも90年代からであり、「小泉改革の負の側面」などというのは無内容な決まり文句だ。成長率も株価も、小泉政権の2003年を大底にして回復した。その後の政権の「古い自民党」への回帰とともに成長率は低下し、度重なる「景気対策」は財政破綻の不安を増した。小泉氏の改革は政治家には不人気だが、国民はいまだに彼を高く評価している。自民党の集票基盤だった郵便局や土建業への税金投入を減らし、自民党を「ぶっ壊した」小泉氏は、民主党の恩人なのである。

世界の有力誌が、ほとんど同じように鳩山氏の「市場原理主義」批判を嘲笑しているのは、偶然ではない。これから首相として国際舞台で演説することになる鳩山氏は知っておいたほうがいいと思うが、市場原理主義とかグローバリズムというのは、欧米では無知な左翼の使う言葉である。こういう言葉を使っているだけで、彼は世界の常識を知らない田舎者として無視されるだろう。そしてこれが日本の株式市場の主役である外人投資家の見方でもある。

民主党にとりつく松岡利勝の亡霊

今週のニューズウィークに書いたが、民主党が日米FTAをマニフェストからはずす方針だという。私は、農業所得補償は子供手当のような単純なバラマキではなく、農業補助金が「農協補助金」になって自民党の政治資金に化けている現状を改め、FTAで農産物市場の開放を進める移行措置として所得を補償する(民主党には珍しい)戦略的な政策だと理解していた。

ところが鳩山代表の「コメをはじめとする重要作物に対し『関税を引き下げられたらたまらない』という農家の思いも強くあると思う。より分かりやすく直していくことが必要かなと思っている」という発言には、こうした戦略がまったく感じられない(これを立案した小沢一郎氏には戦略があったのかもしれないが)。こうなると専業・兼業農家に無差別にばらまく所得補償は、松岡利勝のぶんどったウルグアイ・ラウンドの6兆円と同じだ。

農業を活性化するために必要なのは、非効率な兼業農家を「保護」することではなく、農地法などの規制を撤廃して農業をビジネスとして自立させることだ。そのためには日米・日欧のFTAによって農産物市場を競争的にする必要がある。それはWTOで日本が貿易自由化の「抵抗勢力」になっている状況を変える上でも重要だ。ここで農協の脅しに屈してマニフェストを修正したら、鳩山政権には「既得権をゼロベースで見直す」能力はないと選挙前に白状するようなものである。

「分配の政治」というネズミ講

民主党のマニフェストが発表され、論議を呼んでいる。選挙で政策が大きな争点になるのはいいことだが、その内容は旧態依然たる分配の政治で、違うのは自民党が財界や業界団体に配っていた金を中小企業や労働組合に回すことぐらいだ。こういう「政策転換」は、30年ぐらい前に行なわれたことがある。東京都の美濃部知事を初めとする「革新自治体」が全国に生まれ、「大資本中心の政治から福祉中心に!」とのスローガンのもと、老人医療の無料化など、巨額のバラマキ福祉が行なわれた。

その結果は、放漫財政と公務員のお手盛り昇給と財政破綻だ。組合の強い大阪府は、いまだにその後遺症に苦しんでいる。それでも自治体は、起債の限度があるため、破綻が早く来やすい。国の場合は問題を先送りできるので、夕張のようになるのは10年以上先だろう。しかし破綻したときは取り返しがつかない。IMFも指摘するように、消費税を30%から60%ぐらいに上げないと、公共サービスが維持できなくなる。与野党ともに、今の高齢者の「安心」については語るが、若い世代の将来への不安には関心がないようだ。少子化の原因はこの不安であり、子供手当による将来の負担増は、むしろ問題を悪化させるだろう。

高度成長期には、競争力の高い製造業などの成長部門が創造した富を農村などの衰退部門に再分配する所得移転が政治の役割だったが、この構造は90年代以降、決定的に変わった。日本経済の停滞によって再分配すべき原資が減り始めた状況で、今後も再分配を続けるには、将来世代から現在世代への所得移転が必要になる。900兆円近い政府債務とそれを上回る年金会計の破綻は、団塊世代からロスジェネ世代への「つけ回し」だが、このネズミ講はいずれ破綻する。

こういう問題は、経済学者がいくら抽象的な数字をあげてもだめで、日本経済が本当に夕張のようになるまで、政治家にはわからないだろう。しかしマーケットはそれを知っている。もう概算要求も出た段階で、鳩山政権が歳出削減をやろうとしても、官僚のサボタージュで来年度予算も大幅な赤字になるだろう。それを見越して、長期金利がじりじり上がり始めている。国債が増発されたら、資本逃避やインフレが起こるおそれも強い。民主党がマニフェストに明記した「製造業の派遣禁止」が実行されたら、製造業は工場を海外に移転し、雇用はさらに減るだろう。

いま問われている真の争点は、どうやってこのネズミ講を終わらせ、福祉の原資となる成長を維持するかという問題だ。「官僚中心の政治の転換」などというのは、その手段であって目的ではない。自民党は31日にマニフェストを出すそうだが、民主党の分配政治に対抗して、規制改革やイノベーションによる成長戦略を打ち出せば、勝ち目もあるかもしれない。

よみがえる「官僚たちの夏」

霞ヶ関の「大異動」が話題になっている。今年の人事で事務次官が交代しなかったのは、外務・経産・農水の3省だけで、「民主シフト」が鮮明だ。鳩山代表が「局長級にはすべて辞表を出させる」とか「霞ヶ関に100人以上の政治家・民間人を送り込む」といっているのに対抗して、国交省と農水省では民主党ともめた場合の次官の「バックアップ」を用意する異例の人事が行なわれた。

局長級は、だいたい私の大学の同期がなる時期なので、個人的にも知っている人がいるが、民主党に対する「抵抗力」を重視した配置が行なわれたようだ。特に経産省では「市場派」が一掃されて「産業政策派」が主要ポストを独占し、「官僚たちの夏」が全面的に復活した。総務省も「親NTT派」の事務次官が就任して、「再々編」は骨抜きになりそうだ。

これに対して民主党の戦闘態勢はどうかといえば、はなはだ心許ない。先週のICPFの特別セミナーでも、民主党の「IT専門家」である内藤正光氏は、「ホワイトスペース」について何も知らず、周波数オークションには反対した。彼が力を入れていた「日本版FCC」などという組織いじりは、手段であって目的ではない。問題は人事や組織ではなく、意思決定を実質的に官僚から国民の手に取り戻すことだ。

そのメルクマールが、周波数オークションである。今のように官僚が「国定技術」を決めて免許人に無償で割り当てる電波社会主義が、日本の携帯電話業界が世界に立ち後れる原因になったのだが、セミナーに出てきた自民党の世耕弘成氏(NTT出身)も社会主義を変える気はないらしい。NTT労組出身の内藤氏が社会主義を擁護するのは、むしろ当然だろう。

その代わり、出てくるのは「電子政府」とか「教育・医療のIT化」などのバラマキ政策ばかり。世耕氏の紹介したのは現在の総務省の政策だからしょうがないが、内藤氏の「次の総務省」の政策も、ほとんど見分けがつかない。このように規制改革よりバラマキというバイアスは霞ヶ関の本能みたいなもので、これを逆転しないかぎり、本質的な改革はできない。

TBSのドラマ「官僚たちの夏」は視聴率も好調で、「最近珍しい社会派ドラマ」として好評だ。中身が原作とまったく違うフィクションであることは、番組のウェブサイトにも断ってあり、「昭和30年代ブーム」に乗って、日本のよかった時代を懐かしむオヤジ向けドラマらしい。昔話としては、よくできている。あのころの日本には「アメリカのように豊かになる」というわかりやすい目標があり、役所が民間をまとめることができた。

しかし今は違うのだ。官僚でさえ若手はそれに気づいているが、省内では口に出せないという。「役所は手を引くべきだ」などといったら、出世できないからだ。それをコントロールすべき民主党も、若手にはわかっている人がいるが、マニフェストに出てくるのは「官僚たちの夏」が永遠に続くかと思うようなバラマキ政策ばかり。民主党にはなるべく小さく勝ってもらって、「第三極」の結集に期待したい。


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