科学/文化

地球は氷河期になる(アーカイブ記事)

IPCCのリーダー、スティーヴン・シュナイダーは、"Atmospheric Carbon Dioxide and Aerosols: Effects of Large Increases on Global Climate" (Science 173, 138-141)で、次のように述べた:
今後50年間で、大気汚染の可能性は 6~8倍に増加すると予測されている。この注入率の増加により、大気の背景不透明度が4倍に上昇すると、われわれの計算では地球の気温が3.5℃も低下することが示唆される。地球の平均気温がこのような大幅な低下を数年間にわたって継続すると、氷河期を引き起こすのに十分だと考えられる。
彼の予測によれば、大気汚染で太陽光線が遮断される効果によって地表の温度は今後50年間に3.5℃も下がり、地球は氷河期に入るおそれが強い。凍死者の数は温暖化による死者の10倍にのぼるので、これは温暖化よりもはるかに重大な問題だ。続きを読む

地球温暖化が加速した原因は中国とインドの大気汚染の減少

2024年の世界平均気温は1.6℃で、パリ協定の努力目標1.5℃を超えた。これについて日経新聞を初めとするマスコミは「脱炭素化の加速が必要だ」と騒いでいるが、それは科学的に正しくない。

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「ゼロリスク」を叫んでも社会は変わらない(アーカイブ記事)



今夜の言論アリーナでは、中西準子氏(産業技術総合研究所フェロー)の話を聞いた。メインテーマは除染で、彼女の提案している5mSv/年という基準をめぐる科学的な議論だが、それは放送を聞いてもらうとして、印象に残ったのは日本の反公害運動の元祖としての思い出話だった。続きを読む

選択的夫婦別姓って何?

小泉進次郎さんが1年以内にやる「三つの改革」の一つとして、選択的夫婦別姓を認める民法・戸籍法の改正をあげました。

Q. 夫婦別姓って何ですか?

結婚したあとも夫婦が別の苗字(姓)を名乗ることです。たとえば衆議院議員の高市早苗さんの夫は、戸籍上は高市拓ですが、国会では山本拓です。

Q. それじゃ同姓か別姓かわからないですね?

日本の戸籍では夫婦同姓にしないといけないので、仕事でいつも使っている苗字や旧姓が使えないのです。それを戸籍でも別姓にできるようにするのが選択的夫婦別姓です。

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「謎の大量死」は終わったが、その原因は何だったのか

ネット上ではいまだに「謎の大量死」という言葉が使われるが、状況はもう変わった。

今年6月の死亡数は117.6万人。昨年の3.6%増である。これは高齢化のトレンドで、特に大量死したわけではない(超過死亡数は独自集計)。

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フランス革命より明治維新のほうが「普通の革命」だった

パリ・オリンピックの開会式は、マリー・アントワネットの生首という悪趣味な演出で開幕したが、驚いたのはこれをほめる日本人が多いことだ。フランス人がフランス革命を美化するのはしょうがないが、日本人が美化するのは世界の笑い物である。

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夫婦同姓は明治時代につくられた「家父長制」

高市早苗氏が、また選択的夫婦別姓に反対している。最近はこれに賛同する人も少なくなったが、まだ誤解している人もいるので、歴史的事実を確認しておく。

黒人侍の騒動でもわかったように、姓(家名)のない弥助が侍(上級武士)だったという研究者はほとんどいない。家名は武士の特権であり、家のために死ぬのが武士だったからだ。夫婦別姓は中国の宗族(父系親族集団)の伝統だが、日本にはそういう親族集団がないので根づかなかった。

日本の苗字は姓とは別のもので、「家」は地縁集団だったので苗字は地名が多かった。血縁は大した問題ではなく、長男が無能なときは婿養子をとるのが当たり前だった。武士は家名を相続したが、女には苗字がなかった。北条政子や日野富子も、当時は単に「政子」や「富子」と呼ばれた。

百姓には家名は必要ないので、名前で呼んでいた。機能的には個人を同定するには名前があれば十分で、同名でまぎらわしいときは「屋号」で区別した。夫婦同姓が日本の伝統などというのは無知蒙昧な話で、これは明治時代につくられた民法の制度である。

続きは7月29日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)

「黒人侍」を海外に売り出したのは外務省だった

アサクリ問題が、意外な展開を見せてきた。「黒人侍」を最初に海外に売り出したのは外務省だった。



2018年の在モザンビーク大使、池田敏雄氏のあいさつには、こう書かれている。

1581年イタリア人宣教師ヴァリニャーノは織田信長に謁見した際に,従者として連れていた黒人を信長が召し抱えたいと所望したため献上しました。その黒人はモザンビーク出身であり,信長は弥助と名付け武士の身分を与えて家臣にしたと伝えられます。弥助は訪日した最初のアフリカ人とされています。

これはロックリーの『信長と弥助』をもとにしていると思われるが、史実ではない。

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弥助は「黒人奴隷から成り上がった侍」だったのか

アサクリ問題が歴史学界に延焼しているので、整理しておこう。最初に断っておくが、アサシン・クリードというゲームがどんな荒唐無稽な設定をしても、それがフィクションだと断っていれば何の問題もない。問題はその原作者、トム・ロックリー(日大准教授)がそれを事実だと主張し、Wikipediaなどを改竄したことだ。



おかげでデービッド・アトキンソンなど、それを信じる人が出てきた。マスコミが小説を史実として報道すると、慰安婦問題の吉田清治のように大変なことになる。こういう問題は初期消火が大事なので、あえて細かい事実関係を書いておく。

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弥助は「黒い侍」だったのか

アサクリ問題は近世の日本史をめぐる歴史論争になったが、ほとんどの専門家の結論は「黒人が武士になることはありえない」ということで一致している。唯一ロックリーの歴史小説を詳細に検討したOliver Jiaのブログ記事の一部を自動翻訳で紹介しておく。

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弥助の死後に描かれた絵

まず戦国時代の日本に黒人が来て、弥助と呼ばれたことは事実である。

弥助の本名、生年月日、出身国など、その詳細の大部分は謎のままだが、彼の存在は何世紀にもわたって知られている歴史的事実である。

私たちが確かに知っていることは、弥助が東アジア全域での布教活動で有名なイタリアのイエズス会司祭アレッサンドロ・ヴァリニャーノの従者として1579年に日本に来たということだ。

弥助がポルトガル人の奴隷だったという証拠はない。日本の大名が黒人奴隷を使ったこともない。

弥助が奴隷だったのか、年季奉公人だったのか、それとも喜んでヴァリニャーノに仕えることを選んだ自由人だったのかは明らかではないが、戦国時代の日本に弥助が登場したことは、両国にとって彼の存在を記録するのに十分な注目に値する出来事であったことは確かである。

彼は宣教師ルイス・フロイスとともに織田信長に謁見した。フロイスの記録にはこう書かれている。

信長は黒い男を見て嬉しそうに笑い、肌の色は本物ではなくトリックだと思い、頭から帯まで裸にさせた。彼の息子たちや甥さえも彼が楽しんでいるところを見たいと思った。

では弥助は、ロックリーの描いたような「黒い侍」だったのか?

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続きは7月22日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)


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