歴史の圧倒的大部分で世界最大の強国だった中国が、19世紀に急速に没落したのに対して、文化的にも経済的にも遅れていたヨーロッパ諸国が世界を支配するようになった。この「大分岐」の一つの原因は、ヨーロッパで実用的な知識が発展したことだ。
古代ギリシャ以来、エピステーメー(学問)とテクネー(技術)はまったく別の知識であり、前者は文字として記録されてエリートが学んだが、後者は職人が口頭で伝承する経験的知識だった。紙も火薬も印刷術も中国で発明されたが、それは体系的な技術として継承されず、産業革命を生むこともなかった。
それが18世紀のヨーロッパで融合したのは、カトリック教会と啓蒙思想の戦いの中で啓蒙思想が勝ったからではない。近代科学を生み出したのは、宇宙の隅々に同じ法則が適用できるはずだというキリスト教の普遍主義だった。デカルトなどの啓蒙思想はその変種であり、それ自体は伝統的な学問だった。
しかしニュートンの『プリンキピア』は例外だった。それは彼の神学思想の数学付録であり、彼はそれが実用化できるとは思っていなかったが、その運動方程式は砲弾の軌道計算などさまざまな技術に応用され、次第に神に代わって世界を説明する原理になり、技術が「科学」として体系化された。
ヨーロッパより遅れていた日本が19世紀に急速にキャッチアップできた原因は、学問にあまり権威がなかったためだろう。中国では儒学が科挙によって国家権力の一部になったが、日本は科挙を採用しなかったので、儒学は武士の暇つぶしであり、ほとんど社会的影響力がなかった。だから明治期に西洋の科学が入ってくると、簡単に乗り換えたのだ。
続きは12月25日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)
古代ギリシャ以来、エピステーメー(学問)とテクネー(技術)はまったく別の知識であり、前者は文字として記録されてエリートが学んだが、後者は職人が口頭で伝承する経験的知識だった。紙も火薬も印刷術も中国で発明されたが、それは体系的な技術として継承されず、産業革命を生むこともなかった。
それが18世紀のヨーロッパで融合したのは、カトリック教会と啓蒙思想の戦いの中で啓蒙思想が勝ったからではない。近代科学を生み出したのは、宇宙の隅々に同じ法則が適用できるはずだというキリスト教の普遍主義だった。デカルトなどの啓蒙思想はその変種であり、それ自体は伝統的な学問だった。
しかしニュートンの『プリンキピア』は例外だった。それは彼の神学思想の数学付録であり、彼はそれが実用化できるとは思っていなかったが、その運動方程式は砲弾の軌道計算などさまざまな技術に応用され、次第に神に代わって世界を説明する原理になり、技術が「科学」として体系化された。
ヨーロッパより遅れていた日本が19世紀に急速にキャッチアップできた原因は、学問にあまり権威がなかったためだろう。中国では儒学が科挙によって国家権力の一部になったが、日本は科挙を採用しなかったので、儒学は武士の暇つぶしであり、ほとんど社会的影響力がなかった。だから明治期に西洋の科学が入ってくると、簡単に乗り換えたのだ。
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