「衰退国の先輩」イギリスに学ぶ(アーカイブ記事)

イギリス 繁栄のあとさき (講談社学術文庫)
総選挙では各党が声をそろえるのは「成長戦略」だが、その具体的な中身は何もない。半導体やAIに政府がカネをばらまいても成長できるわけではない。もちろん成長はしたほうがいいが、政府投資で潜在成長率を上げることはできないのだ。

イギリスで「産業革命」が起こったとか「産業資本主義」で成長したとかいう常識は、最近の経済史では葬られている。大英帝国のエンジンは産業革命でも綿工業でもなく、北米のプランテーションと奴隷貿易だった。本国の何十倍もの面積をもつアメリカ大陸を経済圏に入れ、そこから砂糖やタバコなどの一次産品を輸入してアフリカに売り、北米に奴隷を輸出する三角貿易が最大のビジネスだった。

この商業革命で上げた巨額の利潤が資本主義を生んだ。産業革命が大英帝国を生んだのではなく、その逆なのだ。その中心となったジェントルマンは産業資本家のように勤勉ではなく、合理的な「ホモ・エコノミクス」でもなかった。しかし彼らが採算を度外視してつくった道路や鉄道などのインフラが産業の基礎になり、彼らのコーヒーハウスが王立科学協会に発展して近代科学を生んだのだ。

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企業の海外収益が国内に還元されない日本は「グローバル経済の植民地」

いまどうするか日本経済 (ちくま新書)
今週の金曜には日銀の政策金利が0.75%に引き上げられる見通しだが、本書も指摘するように今や政策金利には大した影響力がない。日本の企業は貯蓄超過で、金を貸す側だからだ。これを知らなかった黒田日銀は、大量にゼロ金利のマネーを供給したが、それは国内投資には回らなかった。

企業が貯蓄主体になったきっかけは1998年から始まった金融危機で銀行が不良債権を回収したことだが、不良債権処理が終わってからも企業は「内部留保」を厚くして危機にそなえるようになった。次の図のように企業はこの25年間、一貫して貯蓄超過である。

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非金融法人企業の資金循環フロー(資金循環統計)

金を借りて投資するはずの企業が金を貸している(最大の借り手は政府)という状況は世界に類のないもので、日銀にも理解できなかった。黒田総裁はこれを無視してマネタリーベースを500兆円以上に拡大したが、上の図のように国内投資は増えなかった。増えたのは海外直接投資である。

こういう指摘は今年の良書ベスト10であげた経済書と同じだが、海外収益が最終的に配当やキャピタルゲインとして国内に還元されれば悪くない。かつて大英帝国は、海外の植民地に投資した企業の配当で史上最大の栄華を築いた。

日本の問題は、海外収益が国内に還元されないことだ。上場企業の株主の6割が外国人で、株式売買高の7割が外国人株主なので、日本はグローバル経済の植民地になっているようなものだ、と本書はいう。この最大の原因は、家計が極端にリスク回避的で、金融資産の半分以上を実質マイナス金利の預貯金にしていることだ。

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「英国病」のスタグフレーションがサッチャー首相を生んだ(アーカイブ記事)

マーガレット・サッチャー: 政治を変えた「鉄の女」 (新潮選書)
高市首相の経済政策は、海外メディアがそろって指摘するようにサッチャー首相とは対極にある。サッチャーはその11年の任期を通じて「積極財政」という言葉を使ったことがない。彼女は徹底的な緊縮財政でイギリスを「英国病」から救ったが、それは新自由主義と呼ばれるほど普遍的な思想ではない。

本書も指摘するように「サッチャリズムは20世紀後半にイギリス社会が直面した状況から生み出された、すぐれて歴史的な産物」である。のちにマネタリズムと呼ばれる政策を彼女が実行したのはフリードマンの思想を理解していたためではなく、1970年代に英国病が完全に行き詰まった状況で、他に手段がなかったためだ。

その症状は10%を超える失業率とインフレで、その原因は財政赤字だった、この点は日本と似ているが、最大の敵は長期にわたってストライキを繰り返す労働組合、特に炭鉱労組だった。この点では保守党内の意見は一致していたが、違うのは手法だった。

ヒース首相は保守党の本流でイギリス的な紳士だったので炭鉱労組との対決を回避し、財政出動で失業を止めようとしたが、これによってインフレが悪化し、スタグフレーションに陥った。石油危機でイギリス経済が崩壊する大混乱の中で、党内の異端だったサッチャーが「反ヒース」の急先鋒としてかつぎ出されたのだ。

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今年の良書ベスト10

世界秩序が変わるとき 新自由主義からのゲームチェンジ (文春新書 1478)
  1. 齋藤ジン:世界秩序が変わるとき
  2. 河野龍太郎:日本経済の死角
  3. Ray Dalio: How Countries Go Broke
  4. トマ・フィリポン:競争なきアメリカ
  5. 藤代宏一:株高不況
  6. 池本大輔:サッチャー
  7. 河浪武史:円ドル戦争40年秘史
  8. 家近亮子:蒋介石
  9. レイ・カーツワイル:シンギュラリティはより近く
  10. 渡辺努:物価を考える
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野党を分断した憲法9条の「夢想主義」(アーカイブ記事)

新版-戦後史のなかの日本社会党-その理想主義とは何であったのか (中公選書 161)
また中選挙区制に戻そうという話が、野党の一部から出ている。こういう議員は、政権を取ることを考えていない。選挙区で自民党のオマケとして気楽にやりたいだけだ。そういう55年体制が38年も続いたおかげで、野党にはいまだに万年野党体質が抜きがたく残っている。

その最大の責任は社会党にあるが、最初からそうだったわけではない。1950年代には独自の安保構想を考えた西尾末広などの右派があり、60年代にはヨーロッパ型の構造改革をめざす江田三郎などもいたが、すべて党から追放された。共産党にも構造改革派の上田兄弟(上田耕一郎・不破哲三)がいたが、宮本顕治のスターリニズムに屈服した。

労働組合が経営を考える必要がないように、万年野党が政策を考える必要はない。政権につくことを考えなければ、なるべく美しい理想主義をとなえたほうがいい。このように実現できない理想をとなえる社会党の体質を著者は夢想主義と呼ぶが、これが他の野党やメディアにも感染し、日本の政治には自民党以外の選択肢がなくなってしまった。続きを読む

「追われる国」の経済学(アーカイブ記事)

「追われる国」の経済学―ポスト・グローバリズムの処方箋
リチャード・クーは日本では忘れられた存在だが、彼の「バランスシート不況」理論はクルーグマンやサマーズなどが高く評価し、日本でも日銀の白川元総裁などが評価している。現在の観点から興味あるのは、黒田日銀が過激な円安誘導で産業空洞化をもたらしたと指摘している点だ。

昔の貿易理論では為替レートは購買力平価で決まり、貿易赤字の国の通貨は弱くなると考えたが、現実には大きな貿易赤字を抱えるアメリカのドルが世界の「一強」になり、ユーロも円も弱くなっている。「正しい為替レート」を決める理論は存在しないが、その動きを説明するのは実質金利の均等化である。

日本の長期金利は2010年代、実質金利でみると、ほぼ一貫してマイナスだった。アメリカの実質金利はこれより2~3%高かったので、投資家は円を借りてドルで投資する。黒田日銀はゼロ金利の円資金を大量に供給したが、これがドルに転換され、円安が進んだ。

この結果、アメリカの「長期金利ー予想インフレ率」に連動して、ほぼゼロ金利だった日本の長期金利が上がった。2021年までは急速なインフレに金利上昇が追いつかなかったので、実質金利は日>米だったが、ウクライナ戦争のころから米>日になって金利差が拡大し、ドル高になった。

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日米実質金利差とドル円レート(株式マーケットデータ)

ゼロ金利によって投資機会の少ない日本から、資金需要の旺盛なアジアの新興国に直接投資が増え、製造業の空洞化が起こった。これは黒田総裁にとっては意図せざる結果だった。彼は円安で輸出が増え、景気がよくなると思ったのだが、その逆に貿易赤字になり、円安が続いても企業は帰ってこなかった。

*この記事は2023年に刊行された英語版によるもの。

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「失われた2010年代」の原因は黒田日銀の円安誘導だった

世界経済の死角 (幻冬舎新書)
1990年代以降の日本経済の長期低迷を「失われた30年」ということがあるが、これは正しくない。GDPが増えない最大の原因は高齢化で生産年齢人口が減ったためで、労働人口で割ると1990年代から2000年代までは増えている。G7諸国と比べても、リーマン前の2008年までは特に低い水準ではない。

ところが労働人口あたりGDPは2010年ごろ頭打ちになり、安倍政権の2013年以降にG7で最低になって今に至っている。つまりアベノミクスが2010年代の停滞をもたらしたともいえる。その原因は何だろうか。

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河野龍太郎氏は、安倍政権の始まる前から「過剰な量的緩和とゼロ金利は金融市場をゆがめる」と警告していた。このような金融抑圧は円安で交易条件を悪化させ、資本流出をまねくからだ。しかし日銀は円安誘導をおこない、1ドルは80円から120円に大幅に下がった。

黒田総裁は「円安で貿易黒字になり、日本経済は復活する」と言ったが、貿易収支は赤字になった。1ドル120円になっても、日本経済は成長せず、産業空洞化が激しくなった。製造業はゼロ金利で借りた資金をアジアに投資し、アジアに売って(海外との連結決算では)高い収益を上げたが、国内の賃金は上がらなかったのだ。

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ヘリコプターマネーでインフレは起こせる(アーカイブ記事)

金融政策に未来はあるか (岩波新書)黒田日銀の大規模な量的緩和は「黒田バズーカ」などと呼ばれたが、空砲だった。その原因は、本書58ページの次の式でわかる。FTPLで政府と日銀の統合B/Sを考えると、物価は「名目政府債務/実質政府財源」すなわち

  M+B
P= ―――
   S

で決まる。ここでPは長期的な均衡物価水準、Mはマネタリーベース、Bは市中で保有されている国債の評価額、Sは政府の財源(プライマリー黒字の割引現在価値)である。日銀券も国債も統合政府のバランスシートでは債務だから、日銀がBを買ってMを増やしても、同じだけBが減るので政府債務(M+B)は変わらず、物価Pは上がらない。これが日銀の「異次元緩和」が失敗した原因である。

財政バラマキでインフレは起こせる

黒田総裁は、こんな単純な関係に気づかなかったのだろうか。おそらくそうではないだろう。彼の脳内には、統合政府債務(M+B)が中央銀行のオペレーションで動かせるという伝統的な金融理論があったと思われる。

上の式でBは金利で割り引いた現在価値なので、日銀が国債を買うと金利が下がってBが上がり、左辺の物価Pが上がるのだが、ゼロ金利になるとそれ以上は金利が下がらないので、物価は上がらない。

今の日銀のオペレーションでは市中銀行の保有している国債を買うが、それをしないで日銀がヘリコプターから直接、日銀券をばらまけばいい、というのがフリードマンの1969年の提案である。日銀が国債を買わなければ、Mだけが増えて上の式の分子が増え、Pが上がる。これは過激なインフレ税である。

もちろんヘリコプターというのは冗談で、実務的には財務省が政府紙幣を発行して、日銀が買えばいい。これは市中に出ないのだから、政府と日銀だけが知っている「1兆円札」のようなものでいい(クルーグマンは1兆ドルコインを提案した)。それを日銀券に替えて政府が給付金を配れば、Mだけが増えてBは減らない。

だから財源は本質的な問題ではない。インフレの中で財政バラマキをやったらインフレが起こることは確実だから、高市政権の「積極財政」はヘリマネの一種だ。問題はそれをどうコントロールするかである。続きを読む

日本人には「希望を捨てる勇気」が必要だ(アーカイブ記事)

希望を捨てる勇気―停滞と成長の経済学
2009年に出した本書は、タイトルが暗すぎて受けないだろうと思ったが、就職氷河期世代に読まれて3刷になり、中国語訳まで出た。中国ではまだ希望を捨てる必要はないと思ったが、中国語のタイトルは『失われた20年:日本の長期的な経済停滞の本当の理由』。日本経済の失敗に学ぼうというわけだ。

このタイトルは「日本経済をだめにする悲観論だ」と批判されたが、中身を読んでもらえばわかるように、これは財政バラマキや金融緩和などの小手先の政策で雇用を守り、古い企業を延命すれば何とかなるという希望を捨てないかぎり、長期停滞を抜け出せないという意味だ。

日本経済のボトルネックは高度成長期から受け継いだ古い雇用慣行で、これを変えない限り量的緩和なんかいくらやっても無駄だ。これをリフレ派は「清算主義だ」などと批判したが、安倍政権の量的緩和で成長率も実質賃金も上がらず、日本経済は長期停滞から抜けられなくなった。

それから16年。私の予想した通り、日本経済は「暗いトンネル」を抜けられない。高市政権の補正予算には、自民党の支持団体の要望した補助金や投資減税などのバラマキが並び、各業界に利益を分配する構造は変わっていない。野党も減税のバラマキを求めている。もう本当に希望を捨てて出直すしかないのではないか。続きを読む

政治が「強すぎる円」を生み、空洞化が「弱すぎる円」を生んだ

円ドル戦争40年秘史 なぜ円は最弱通貨になったのか (日本経済新聞出版)
ミルトン・フリードマンが1950年代に変動為替相場を提案したとき、それをまじめに受け取る人は少なかった。為替レートは物差しのようなもので、それが毎日、伸びたり縮んだりしては貿易はできない。

それが1970年代にドルが弱くなって金・ドルが兌換停止になり、なし崩しに変動相場制になった。フリードマンは通貨価値がその購買力に等しい水準に決まると考えたが、実際の為替レートは購買力平価(PPP)とはほど遠い。今の円のPPPはBISによれば1ドル=約95円だが、名目為替レートは154円で、その60%である。

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歴史上、これほど大きくPPPと名目レートが離れた例は少ない。円高方向に大きく外れたのは1995年で、ピーク時には79円台を記録した。これはクリントン政権のドル安誘導で政治的につけたレートだったが、意外に大きな影響をもたらした。この時期から所得収支の黒字が増え始めたのだ。

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これは初期には、円高による製造業の資本逃避だった。不良債権問題で弱った日本の通貨価値が史上最高になったのは明らかに過大評価だったので、海外生産を増やしたのだ。その後クリントン政権の方針転換で円は下がり、金融危機の起こった1998年には140円まで下がったが、空洞化は止まらず、今では経常収支の黒字はすべて所得収支である。

続きは10月17日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)
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