仏教の「空」の思想は大規模言語モデルである

入門 哲学としての仏教 (講談社現代新書 1988)
ほとんどの人にとって仏典は、葬式のとき読み上げる意味不明の漢文にすぎないが、その内容は合理主義である。少なくとも天上の神が地上の女と交わって子を産むといった荒唐無稽な話を信じる必要はない。本書はそれをあえて西洋哲学で解釈するもので、たぶん厳密には正しくないだろうが、現代人にはわかりやすい。

仏教はもともとバラモン教(ヴェーダ)から生まれた分派だが、その基本思想は「空」の哲学である。これはそれほど神秘的な思想ではなく、バラモン教の正統派が神(基体)を世界の本質と考える実在論であるのに対して、仏教は唯名論である。

仏教はスコラ神学のように超越的な神に対して現象があるとは考えず、世界には基体がなく現象(空)だけが存在すると考える。ソシュール的にいうと、シニフィアン(記号)だけがあってシニフィエ(意味)のない世界である。

このようなニヒリズムを論理的に突き詰めたのが中観派である。彼らは言葉の意味は他の言葉で定義されるトートロジーであり、その基体となる意味は存在しないと論じた。これは言語をその相互関係だけで考えるウィトゲンシュタインの言語ゲーム理論と同じ発想である。

これは最近の人工知能の大規模言語モデル(LLM)に似ている。LLMでは単語の意味を考えないで、その次に出てくる単語を確率論的に予測し、日常言語に近い文字列をつくる。それによって人工知能の難問だった記号接地問題を回避し、言語ゲームを解くのだ。

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池田信夫『平和の遺伝子』12月21日発売

私の新著『平和の遺伝子:日本を衰退させる「空気」の正体』が、12月21日に白水社から発売される(予約受付中)。まえがきを紹介しておく。

平和の遺伝子:日本を衰退させる「空気」の正体
1989年の大納会で日経平均株価が3万8915円をつけたとき、それが最高値になると思った人はほとんどいなかった。世界史上空前の高度成長を遂げ、自動車やテレビや半導体で世界を圧倒した日本の株価は、永遠に上昇するかのように思われた。唯一の心配は、その成功によってアメリカから攻撃されることだった。
 
それから35年たち、日経平均はようやくその高値を抜いたが、ニューヨーク・ダウ平均株価は同じ期間に17倍になった。私は人生の半分をバブル前、半分をバブル後に過ごしたことになるが、かつてあれほど成功した日本が、その後「失われた10年」といわれ、それが「失われた20年」になり、最近は「衰退途上国」といわれるようになったのはなぜか、いまだによくわからない。続きを読む

『共同幻想論』の幻想

改訂新版 共同幻想論 (角川ソフィア文庫)
戦後最大の思想家というと、団塊の世代には吉本隆明をあげる人も多いが、彼は戦後最悪の思想家に近い。60年安保のころから暴力革命を煽動したが、70年安保のときはブント叛旗派というマイナーな党派の指導者で影響力はなかった。今や「吉本ばななの父」といったほうが通りがよいだろう。

吉本は詩人であり、語学ができないので哲学を系統的に学んだわけではないが、文章は詩的で洗練されている。意味のわからない表現も多いが、それが魅力になっている。なんとなく気分で書き、本人もわかっていないことをレトリックで飾っているだけだ。詩の意味が全部わかる必要はない。

ミシェル・フーコーは「フランスで偉大な思想家と思われるためには10%ぐらい意味不明の表現がないといけない」と言ったそうだが、吉本の文章もそんな感じである。安原顕がフーコーとの往復書簡を企画したら、吉本の手紙を読んだフーコーから「何をいっているのかわからない。吉本はヘーゲルをちゃんと読んだのか」と返事がきたらしい。

本書もマルクスの経済決定論を否定する独創的な国家論として評価されたが、国家が「共同幻想」だというのは、マルクスが『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』で論じたテーマである。ところがいくら読んでもナポレオン3世は出てこない。なんと吉本は『ブリュメール』を読んでいなかったのだ。

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生態史観と唯物史観

生態史観と唯物史観 (講談社学術文庫 977)
戦後の日本で歴史に残る思想家といえば、廣松渉と丸山眞男と梅棹忠夫ぐらいだろう。ただ梅棹の「文明の生態史観序説」は世界の歴史を数十ページで総括する荒っぽいもので、彼もこの発想をその後ほとんど発展させなかったので、スケッチに終わってしまった。

主流の歴史学ではマルクス主義的な唯物史観が支配的だったので、それとあまりにもかけ離れた梅棹の発想は、ほとんど相手にされなかった。唯物史観の側からの批判として、梅棹が「いたく心をうたれた」と書いているのが本書である。

廣松は東アジアの歴史に関する文献を渉猟し、生態史観を世界の「複線的な歴史」を理解する新しい枠組として唯物史観を補完するものと位置づけ、マルクスの「アジア的生産様式」の問題との関係で検討している。
 
これはマルクスが『経済学批判』序説の有名な発展段階の記述の中で「経済的社会構成が進歩してゆく段階として、アジア的、古代的、封建的、および近代ブルジョア的生活様式をあげることができる」と書いている中の「アジア的」というのが古代に先行するのか、それとも別の社会のことなのかという問題である。
 
この論争の中で有名になったのが、ウィットフォーゲルの水利社会の概念で、これが梅棹理論に近いというのが廣松の見立てである。ここではユーラシア大陸が水利社会と非水利社会にわけられ、乾燥地帯で大規模な灌漑設備の必要な前者では水資源を管理するために専制国家ができ、その必要がない湿潤地帯では地域の自律的な発展が可能だった。
 
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「日本の哲学」を求めて挫折した京都学派

京都学派 (講談社現代新書)
夫婦別姓や男系天皇をめぐるくだらない論争をみていると、日本の保守派にはそれぐらいしかアイデンティティのよりどころがなくなったのだと思う。日本の伝統とは何かという論争は明治以来ずっと続いてきたが、ここまで劣化したのは感慨深い。

この問題を初めて本格的に論じたのが京都学派だった。明治以降、仏教や儒教は捨てられ、難解な近代哲学が輸入されたが、ほとんどの日本人は理解できなかった。そんな中で西田幾多郎や田辺元は「日本の哲学」を構想し、京大四天王と呼ばれた西谷啓治、高坂正顕、高山岩男、鈴木成高などは論壇の主役となった。

彼らの研究テーマは当時の最新ファッションだったフッサールやハイデガーで、その研究としてはレベルが高かったが、解釈学を超えるものではなかった。そこで京都学派は西洋近代を超えるオリジナルな哲学を構想したが、その概念装置としたのが仏教の「空」の思想だった。

ところが京都学派は戦時中、『近代の超克』『世界史的立場と日本』などの時局迎合的な本を出し、戦後は公職追放された。このように近代を批判する思想が全体主義に合流してしまう点も、ハイデガーと似ている。それはなぜだろうか。

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大乗仏教は東洋と西洋を超える「惑星的思考」か

身体化された心―仏教思想からのエナクティブ・アプローチ
大乗仏教は近代の西洋哲学に似ているが、その類似点を拾い出しても意味はない。大事な問題は、大乗仏教が西洋哲学の問題を解決したのかということだ。フランシスコ・ヴァレラはそう考えた。

彼はニューロサイエンスの先駆者だが、彼のオートポイエーシス(自己組織化)理論は、神経細胞の認識が外界からの刺激と1対1に対応していないことを見出した。たとえば次の図形は、ある被験者には若い女性に見え、別の人には老婆に見える。どっちに見えるかは、図形からは導けない。

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このような実験を重ねた結果、ヴァレラがたどりついたのは認識論的ニヒリズムだった。人間の認識は身体と環境の社会的な相互作用で自己組織化されるのであり、主観とは独立の実在も、対象から独立の自我も存在しない。彼はこのような思想を大乗仏教の「空」の哲学に見出す。

その先駆として本書があげるのは、西谷啓治である。彼はハイデガーに学び、その影響を受けてニヒリズムを生涯のテーマとしたが、日本に帰国してからは大乗仏教を研究した。そこにはニーチェで行き詰まった西洋哲学を乗り超え、ハイデガーが追求した東洋と西洋の違いを超える「惑星的思考」があるという。

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資本主義を生んだのは海賊のエートスだった

海賊の世界史 - 古代ギリシアから大航海時代、現代ソマリアまで (中公新書 2442)
世界史上の大きな謎は、ヨーロッパの西端の小さな島国だったイギリスが、世界最大の帝国を築いたのはなぜかということだ。その一つの答は、彼らの先祖がバイキングだったことにある。

農民は一生、生まれた土地にしばられるが、海賊は遊牧民と同じように移動しながら獲物をさがす。それは現代では犯罪だが、歴史上の大部分ではそうではなかった。今でもイギリスや北欧には、海賊の伝統が生きている。

大航海時代に多くの国が遠洋航海で貿易をしたのに対して、後発の小国だったイギリスは海賊を国家が雇った。海賊フランシス・ドレークはエリザベス1世にその強盗の腕を見込まれて、王室海軍の副司令官になった。

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フランシス・ドレーク

彼らのねらいは新大陸やアジアから財宝を積んで帰ってくる商船だが、イギリスの海賊はスペインの無敵艦隊にはかなわないので、船に火を放って相手の艦隊に突っ込ませる「火船攻撃」で無敵艦隊を全滅させ、大西洋の制海権を握った。海賊は正式のイギリス艦隊に格上げされ、ドレークは爵位を与えられた。

彼らは新大陸で奴隷を使ってタバコや麻薬などのプランテーションをおこない、それをヨーロッパに売った利益で奴隷を買う「三角貿易」で巨額の利益を上げた。これが資本主義の始まりである。資本主義を生んだのはプロテスタンティズムではなく、世界を移動しながら獲物を奪う海賊のエートスだったのだ。

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大乗仏教はポストモダンを超えるか

唯識の思想 (講談社学術文庫)
西洋哲学がプラトンに始まりニーチェで終わったとすると、20世紀以降の哲学はそのオマケみたいなものだが、大乗仏教の歴史はその終わった地点から始まっている。これは偶然ではない。インド=ヨーロッパ語族は主語・述語の論理で考えるので、大乗仏典のロジックは西洋哲学と似ているのだ。

中観派(ナーガールジュナ)は客観的実在を否定して「空」の思想を創造した。そこではカントより1500年以上早く、「存在は有から生じない」などのアンチノミーを使って素朴実在論から矛盾が導かれることを明らかにしているが、積極的な世界像はない。この点はポストモダンに似ている。

そういうニヒリズムを超えようとしたのが唯識派である。それは単に実在を否定するのではなく、それを成り立たせる本質は意識だと考える主観的観念論だった。これは独我論に近いが、世界を成り立たせているのは個人の意識ではなく、阿頼耶(アーラヤ)識と呼ばれる集合的無意識である。

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『はじまりのレーニン』がはじまったとき

新版 はじまりのレーニン (岩波現代文庫)
中沢新一氏の番組をつくっていたとき、彼に「これから編集者にあやまらないといけない。つきあってくれないか」といわれた。新宿の飲み屋で彼が岩波の編集者に話した内容は、「1年前に約束したレーニン論が書けない。申し訳ないが、この話はなかったことにしてほしい」というものだった。

編集者は青ざめていろいろ収拾策を提案したが、横で聞いていた私が思いつきで「今までのレーニン論の逆をやってはどうか」と提案した。現代の哲学者のレーニン論は、廣松渉のようにレーニンの唯物論を素朴実在論として批判し、彼が『唯物論と経験批判論』で攻撃したボグダーノフこそ新しい認識論だったと評価するものだ。

ボグダーノフはマッハ主義者で、その認識論はフッサールからポストモダンに至る20世紀の哲学の主流だが、私はこれに納得できなかった。そんな「価値相対主義」では、革命はできない。行動を起こすには絶対的な価値を信じる必要がある。レーニンの「物質」とはそういうものだったのではないか…と話したら、中沢氏は「それだ!」といった。

そのときの思いつきだけで書き下ろしの本が1冊できたが、中身はレーニンとはほとんど関係ない。文献学的にもずさんで、レーニンがマッハを超える高度な認識論をもっていたわけではないが、そこには意外に新しい問題がある。それはポストモダンが行き詰まった今、考え直す価値があるかもしれない。

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マルクスはなぜ世界を魅惑したのか

マルクス主義の主要潮流 その生成・発展・崩壊
マルクスは20世紀の歴史に最大の影響を与えた思想家だが、それを理解している人はほとんどいない。あの観念的で難解な思想が、なぜ全世界の知識人と労働者を魅惑し、100年近くにわたって世界史を動かしたのかは今も謎である。本書は1978年にポーランド語で書かれた古典だが、初めて邦訳が出た。

著者の答は、マルクスの思想とマルクス主義の運動は別のものだったということだ。マルクスの思想は高度なものだが、彼がそれを『資本論』のように学問的な形で書いただけなら、今ごろはヘーゲル左派の一人として歴史に残る程度だろう。

ところが彼はその思想を単純化して『共産党宣言』などのパンフレットを出し、その運動が成功することで彼の理論の科学性が証明されると主張した。このように独特な形で「科学的社会主義」の理論と実践を結びつけたことが成功の一つの原因だが、その運動の実態は理論とはおよそかけ離れたものだった。

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