ほとんどの人にとって仏典は、葬式のとき読み上げる意味不明の漢文にすぎないが、その内容は合理主義である。少なくとも天上の神が地上の女と交わって子を産むといった荒唐無稽な話を信じる必要はない。本書はそれをあえて西洋哲学で解釈するもので、たぶん厳密には正しくないだろうが、現代人にはわかりやすい。
仏教はもともとバラモン教(ヴェーダ)から生まれた分派だが、その基本思想は「空」の哲学である。これはそれほど神秘的な思想ではなく、バラモン教の正統派が神(基体)を世界の本質と考える実在論であるのに対して、仏教は唯名論である。
仏教はスコラ神学のように超越的な神に対して現象があるとは考えず、世界には基体がなく現象(空)だけが存在すると考える。ソシュール的にいうと、シニフィアン(記号)だけがあってシニフィエ(意味)のない世界である。
このようなニヒリズムを論理的に突き詰めたのが中観派である。彼らは言葉の意味は他の言葉で定義されるトートロジーであり、その基体となる意味は存在しないと論じた。これは言語をその相互関係だけで考えるウィトゲンシュタインの言語ゲーム理論と同じ発想である。
これは最近の人工知能の大規模言語モデル(LLM)に似ている。LLMでは単語の意味を考えないで、その次に出てくる単語を確率論的に予測し、日常言語に近い文字列をつくる。それによって人工知能の難問だった記号接地問題を回避し、言語ゲームを解くのだ。
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仏教はもともとバラモン教(ヴェーダ)から生まれた分派だが、その基本思想は「空」の哲学である。これはそれほど神秘的な思想ではなく、バラモン教の正統派が神(基体)を世界の本質と考える実在論であるのに対して、仏教は唯名論である。
仏教はスコラ神学のように超越的な神に対して現象があるとは考えず、世界には基体がなく現象(空)だけが存在すると考える。ソシュール的にいうと、シニフィアン(記号)だけがあってシニフィエ(意味)のない世界である。
このようなニヒリズムを論理的に突き詰めたのが中観派である。彼らは言葉の意味は他の言葉で定義されるトートロジーであり、その基体となる意味は存在しないと論じた。これは言語をその相互関係だけで考えるウィトゲンシュタインの言語ゲーム理論と同じ発想である。
これは最近の人工知能の大規模言語モデル(LLM)に似ている。LLMでは単語の意味を考えないで、その次に出てくる単語を確率論的に予測し、日常言語に近い文字列をつくる。それによって人工知能の難問だった記号接地問題を回避し、言語ゲームを解くのだ。
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