「量子もつれ」が暗示する反実在論の宇宙

量子力学の100年
きょうは「世界量子デー」で、グーグルの検索窓にも量子もつれの図が出ている。今年はハイゼンベルクが不確定性原理を発見した1925年からちょうど100年目で、世界ではいろいろな記念行事がおこなわれ、ほとんどの人には無関係な量子力学がちょっと話題になっている。

一般向けの量子力学の本では、不確定性原理やシュレーディンガー方程式を説明することはまずなく、観測問題と呼ばれるパラドックスが解説される。ただ物理屋さんに聞くと「観測問題は単なる解釈の違いで、どう解釈しても実験結果に違いはないので興味がない」という。

本書のテーマも観測問題だが、このような従来の常識がくつがえされたことを明らかにしている。それが量子もつれである。これは光速を超える遠隔作用があるという話で、昔は茶飲み話だったが、最近はこれを応用した量子コンピュータが実験室で実現して注目を集めている。

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量子もつれは、1964年にベルの不等式として提唱された。これ自体はシュレーディンガー方程式の必然的帰結だが、直感に反するため、それが成り立たないことを1972年に実験で証明したジョン・クラウザーは大学に職を得られなかったが、2022年にノーベル賞を受賞した。

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池田信夫『平和の遺伝子』電子版発売

平和の遺伝子:日本人を衰退させる「空気」の正体
1989年の大納会で日経平均株価が3万8915円をつけたとき、それが最高値になると思った人はほとんどいなかった。世界史上空前の高度成長を遂げ、自動車やテレビや半導体で世界を圧倒した日本の株価は、永遠に上昇するかのように思われた。唯一の心配は、その成功によってアメリカから攻撃されることだった。
 
それから35年たち、日経平均はようやくその高値を抜いたが、ニューヨーク・ダウ平均株価は同じ期間に17倍になった。私は人生の半分をバブル前、半分をバブル後に過ごしたことになるが、かつてあれほど成功した日本が、その後「失われた10年」といわれ、それが「失われた20年」になり、最近は「衰退途上国」といわれるようになったのはなぜか、いまだによくわからない。続きを読む

言葉の意味は文脈の集合である

概説 人工知能 ――ディープラーニングから生成AIへ (ちくま学芸文庫 マ-54-1)
チャットGPTが今までの人工知能と決定的に違うのは、大規模言語モデル(LLM)で「意味」を処理することだ。これによって最近まで不可能だと思われていた自然言語処理の自動化ができるようになった。

古典的人工知能が挫折した最大の難関は、意味の表現だった。常識的には、たとえば「犬」という単語が特定の動物を示すように、単語と概念には1対1の関係があると考える。これはソシュールからチョムスキーに至るまで同じだが、機械学習に使うには限界があった。

犬という概念をコンピュータに教えるには、犬についての辞書的な情報を教えるだけでは役に立たない。

 家に帰ると犬がじゃれついてきた

という文と

 おまえは財務省の犬だ

という文では、同じ犬という言葉がまったく違う意味で使われている。その意味は辞書に列挙されているが、どれに当たるかを知るには、その前後の文脈を知る必要がある。逆にいうと、文脈が決まれば意味も決まる。あなたは次の図で真ん中にある記号を何と読むだろうか。

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グローバリゼーションは不平等を拡大するが、それが悪いのか

平等について、いま話したいこと
トランプ関税は土壇場で追加関税が一時延期され、最悪の事態は避けられたが、まだ米中対決は残っている。中国からの輸入品がアメリカの雇用を奪っているというのはトランプの1980年代からの信条だが、それ自体は間違いではない。

その代わりアメリカ人は、自分のつくれない半導体部品や自動車を買うことができる。両国が得意な分野に特化して貿易すれば世界全体が豊かになる――これが比較優位という経済学の常識だが、直感に反する。世界が幸福になっても、アメリカ国内で不平等が拡大することは事実である。この弊害を防ぐ方法は二つある:

一つはグローバリゼーションを止める保護主義である。トランプ関税は極端な例だが、それ以外にもEUがよくやる環境規制に名を借りた輸入規制など、巧妙な非関税障壁がある。もう一つはグローバリゼーションは認めた上で、所得再分配によって所得格差を事後的に是正することである。

ピケティは両方やれという。彼のいうように資本課税したらタックスヘイブンに資本逃避が起こるが、世界一律の法人税率を決め、それより低い国からの輸入品には差額関税をかけろという。彼は社会主義者を自認し、サンダースやウォーレンなどの民主党左派を支持する。

サンデルはそれに対して「なぜ不平等が問題なのか?」と問いかけるが、ピケティははぐらかして答えず、話は最後まで噛み合わない。

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ヒュームは人工知能の遠い先祖(アーカイブ記事)

人間本性論 第1巻 〈普及版〉: 知性について
最近の生成AIの急速な進歩の背景にあるのは、デカルト的な合理主義を捨て、膨大なデータから確率論的に予想する経験主義である。西洋の近代哲学はカントに始まったといわれるが、彼を「独断のまどろみ」から覚ましたのはヒュームだった。

カントはヒュームの問題を解決して「コペルニクス的転回」を実現したというが、それは間違いだったとラッセルは『西洋哲学史』で指摘している。ヒュームの問題は、きわめてシンプルである。
太陽が明日も昇らないであろうということは、太陽が昇るであろうという断定に比べて理解しにくい命題ではないし、またより多くの矛盾を含蓄しているわけでもない。それゆえ、われわれがこの命題の虚偽を論証しようと試みても当然無駄であろう。(本書第4章[21])
だから経験的な観察から法則は帰納できない。今まで毎日例外なく太陽が昇ったとしても、あす昇ることは証明できない。また宇宙のあらゆる場所で光の速度が同じだとしても、あなたのいる場所でそれと同じであることは証明できない

これは当たり前のようにみえるが、それが正しいとすると、ニュートン力学に始まる近代科学は単なる経験則で、厳密な法則ではありえない。同時代に、このパラドックスの深刻さに気づいたのはカントだけだった。

彼はそれを解決するために『純粋理性批判』を書いてニュートン力学を正当化しようとしたが、これは「太陽があすも昇るという先験的主観性があるから昇る」という循環論法だった。それを批判したヘーゲルは壮大な観念論の体系を築いたが、彼も解決できなかった。近代哲学はヒュームに始まり、ヒュームで終わったとラッセルはいう。続きを読む

言葉の意味は「身体」で決まる(アーカイブ記事)

肉中の哲学―肉体を具有したマインドが西洋の思考に挑戦する
20世紀の社会科学のスターが新古典派経済学だとすれば、人文科学のスターは言語学だった。チョムスキーの生成文法は言語をアルゴリズムに置き換え、自動翻訳や自然言語理解を可能にすると思われた。1980年代には、日本の第5世代コンピュータを初めとして、全世界で人工知能に生成文法を実装する国家プロジェクトができたが、すべて失敗に終わった。

挫折の原因も新古典派経済学と似ている。数学的に記述できる統辞論は言語のごく一部で、大部分は意味や文脈などの例外処理なのだ。それを処理するデータをアドホックに手作業で入力すると、そのコストが膨大になって行き詰まってしまう。

それを批判したのがレイコフだった。彼は1960年代にチョムスキーを批判し、自然言語を記号論理で書き換える「生成意味論」を提唱したが、70年代には一転して、言語の本質は論理ではなくカテゴリーだという認知意味論を提唱した。本書はこの理論にもとづいて、プラトン以来の西洋哲学を批判する。

これ自体はポストモダンによくある「ロゴス中心主義」批判だが、ポストモダンの場合は知的アナーキズムで決定不能になってしまう。言語の意味が相対的だとすれば、なぜ多くの人が同じ意味を共有するのか。それを決めるのがカテゴリーだとすれば、そのカテゴリーはどうやって決まるのか。遺伝的な普遍文法がないとすれば、経験からどうやって言葉が生まれるのか。

本書は、基本的カテゴリーは身体のメタファーで決まるという。脳は思考のためにできたのではなく、身体を動かすために進化したので、その機能は身体の各器官と結びついている。子供は外界を認識するとき、それを自分の身体の一部として認識するので、日常語には「顔をつぶす」とか「手先になる」というように、身体をメタファーにした表現が多い。そういう空間・時間認識が言語の原型になるというのだ。続きを読む

AI時代に言語学の存在の意味はあるのか?

AI時代に言語学の存在の意味はあるのか??認知文法の思考法
AIブームは人工知能という言葉が生まれた1950年代から3回あった。第1のブームは1980年代の古典的人工知能だったが、これは完全な失敗に終わった。第2は2000年代に深層学習(ニューラルネット)が話題になったときで、画像処理や音声認識ができるようになった。

しかし人間の知能のコアは言語であり、言葉を理解する自然言語処理はニューラルネットではできなかった。東大の入試問題を解かせようとした東ロボくんも挫折し、自然言語処理には絶対的な限界があると思われていた。

ところが本書が出版された2023年に登場したチャットGPTは、その状況を大きく変え、第3のブームを生んだ。ニューラルネットで自然言語を処理する大規模言語モデルが実用化したのだ。本書はそのインパクトを言語学の立場から語っている。

ここ半世紀の言語学は、チョムスキーの生成文法とそれ以外の異端派の戦いだったが、異端派は1990年代から認知言語学と名乗るようになった。その特徴は
  • 文法と語彙の区別を認めない
  • 言葉の意味は文脈で決まるという使用ベースモデル
  • 文法は経験的なパターン認識で決まるというスキーマ理論
これはLLMとまったく同じである。それは認知言語学の影響を受けたのだろうか。GPTに聞いてみた。

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「AI氷河期」がやってくる

生成AIで世界はこう変わる (SB新書)
「AIで仕事がなくなる」という類の話はずっといわれているが、日本は完全雇用で、むしろ人手不足である。その原因はAIがまだほとんど普及しておらず、その性能も人間の代わりにはならなかったからだ。

しかしチャットGPTはその状況を変えた。ホワイトカラーのやっている単純な文書作成は、8割以上が大規模言語モデル(LLM)で代替できる。今まで対象のはっきりしなかったAIの用途が、文書作成として明確化されたのだ。

これがもたらす社会的な影響は大きい。次の表は本書にも引用されている"GPTs are GPTs"という調査の結果だが、通訳、世論調査、広報宣伝などは60~80%、数学者、税理士、ウェブデザイナーなどは100%がGPTで代替できると予想している。

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GPTで代替される職業(GPTs are GPTs)

しかし日本では、これとはまったく違う結果になるだろう。文書作成は文系ホワイトカラーのコア業務であり、それをGPTに代替すると彼らは失業するが、日本の企業は彼らを解雇できない。彼らを定年まで飼い殺しにし、その代わり給料は上げない。そして雇用調整は新卒採用を絞っておこなう。

つまり1990年代に起こった就職氷河期と同じAI氷河期がやって来るのだ。4月4日から始まるアゴラセミナー「AIは世界を変えるか」では、AIのもたらす社会の変化についても考える。続きを読む

トランプ政権を乗っ取った「加速主義」のリバタリアン

暗黒の啓蒙書
イーロン・マスクはトランプ政権で連邦政府をリストラして世界に大きな波紋を呼んでいるが、その思想はリバタリアンである。彼にもヴァンス副大統領にも影響を与えているのがピーター・ティールの加速主義(accelerationism)である。

ティールはマスクと一緒にペイパルを創業し、会社を売却してベンチャーキャピタルを立ち上げた(このときの部下がヴァンス)。彼は政治活動にも関心をもち、2016年にトランプが大統領選挙に立候補したとき、巨額の献金をしてその選挙運動の中心となった。

加速主義の教祖がニック・ランドである。本書は最初ウェブ上で公開され、少数の熱狂的なファンを集めたが、危険思想とされて出版できなかった。彼は人々のvoiceを集計するデモクラシーを否定し、エリートが意思決定して人々がexitによって国家を選択する新官房学(neo-cameralism)を提唱する。

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これは国家を企業のように運営する思想で、ウェブ上にPraxisという仮想都市をつくるようなお遊びだったが、加速主義がアメリカ合衆国の連邦政府を乗っ取ったのだ。

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言語に「語る主体」は存在するのか

欲動 (弘文堂思想選書)
「AIは意味を理解していない」と書くと「意味なんか理解しなくてもいい」というコメントがよくある。これはある意味では正しい。英文和訳のような単純作業では、言葉を置き換えればいいので、意味を理解する必要ない。大規模言語モデル(LLM)は、もともと翻訳のために開発されたものだ。

しかしGPTは「私の悩みを解決してほしい」といった主観的な質問に答えるのは苦手だ。その意味がわからないからだ。私がどういう人物か知らないと、その悩みにも答えられない。LLMは既存の言葉を組み合わせるだけなので、そこでは意味は文脈の集合にすぎない。

記号(シニフィアン)と意味(シニフィエ)の関係は、アウグスティヌス以来、人類の謎である。19世紀までの言語学は言葉を「物の名前」と考え、その目録をつくった。ソシュールはそれを否定し、意味は実体ではなく他のシニフィアンとの差異であり、その関係は恣意的だと考えた。

だがそこでも言語は意識の産物であり、意味を生み出すのは「社会の慣習」だった。丸山圭三郎は、ソシュールの「言語論的転回」はプラトン以来の本質主義を否定するようでいながら、言語にラング(言語体系)という本質を想定していたと批判する。そこには「語る主体」が意味を生み出すという意識中心主義があった。

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