社会科学で実験はできないといわれるが、サッチャーの緊縮財政は歴史的な実験だった。インフレ率と失業率が10%を超える状況で政策金利を上げることは、常識では考えられない。1970年代の労働党政権は「社会契約」と呼ばれる価格統制で賃金を抑制しようとしたが、労働組合はそれに反抗し、ゼネストで警察や鉄道が止まって社会が麻痺した。

サッチャー政権の経済政策は、フリードマンの自然失業率の理論の実験だった。それによれば、インフレ率と失業率がともに上がるスタグフレーションの原因は、人々がインフレ予想をもっているためなので、まずやるべきなのは金利を上げてインフレを止めることだ。

不況の最中に金利を上げると失業率は上がるが、そのまま金利を下げないでインフレを抑え込み、インフレ予想がなくなれば物価は落ち着き、失業率も下がるはずだ、というのがフリードマンの理論だったが、政治的に危険なので、アメリカでも実験できなかった。

しかし1979年のイギリスでは社会が麻痺し、政権は追い込まれていた。インフレを止めないとストライキも止まらず、社会が崩壊する危機に瀕していた。サッチャーは「他に選択肢はない」(There is no alternative)という危機感から緊縮財政を選んだのだ。

「小さな政府」の理想は今も必要だ

サッチャー自身は経済学にくわしかったわけではなく、信じていたのはハイエクの古典的自由主義だった。不況の最中に金利を上げたら失業が増えることは明らかだが、それによってインフレが収まるかどうかは明らかではなく、最終的に失業が減る保証もなかったので、これは危険なギャンブルだったが、ローソン蔵相などのマネタリストが強行した。

公定歩合は17%に上げられ、失業率は上がったがインフレは収まらす、サッチャー政権は危機に陥った。そのまま総選挙に突入すると大敗は必至という状況で、1982年にフォークランド紛争が起こり、サッチャーを救った。この紛争でぶれない「鉄の女」という評価を受け、そのうちにインフレが収まり、経済が正常化すると失業率も下がった。

この「保守革命」が成功した最大の原因は、スタグフレーションに対して「まずインフレを止める」という政治的には不人気な戦略をとったことにある。普通はまず財政出動で失業を止めようとするので、インフレが加速する。まずインフレ予想を止める順序が重要なのだ。

ケインズ政策が成功したのは、それが財政バラマキという政治家の好む政策だったからだ。財政赤字はあくまでも需要不足の時期の政策であり、景気が回復して財政黒字になったら債務を返済すべきだとケインズ自身は考えていた。しかし政治家は不況期には財政支出の拡大を好むが、景気がよくなっても財政支出を縮小しない。このため戦後、「福祉国家」の規模は大きくなる一方だった。

岸田政権以来の「物価高対策」は、この政治家の習性をよく示している。それは生活支援であって、マクロ経済的にはインフレを悪化させるのだが、いったん始めるとやめられない。財務省もインフレで税収が上がっているので、補正予算をつける。これを続けていると、また1970年代のイギリスのようになってしまう。

これを打開するには、緊縮財政で財政赤字を減らす必要がある。「反緊縮」は2010年代の欧州で左翼が使い始めた言葉だが、ゼロ金利で金利負担を気にしなくてもよかった時代の特殊な話で、今はイタリアでもメローニ首相は反緊縮を捨てた。税も国債も、国民負担としては同じだ。その負担を減らす「小さな政府」という理想に普遍性があったから、サッチャー政権は成功したのだ。