イエスという男 第二版 増補改訂
田川建三氏が死去した。子供のころ無理やり日曜学校に行かされたいやな思い出と教会の偽善的な雰囲気がきらいだった私は、学生時代に彼のキリスト教批判で目を開かれた。本書は精密な文献考証をもとにして、等身大のイエス像を描く名著である。

イエスについてわかっている史実は、紀元前4年ごろナザレに生まれ、ガリラヤを拠点として説教を続け、30歳ぐらいのときエルサレムに出てきて逮捕され、十字架にかかって処刑されたことだけだ。イエスという名前はありふれたもので、同時代の記録は残っていない。

したがって西暦80年以降に書かれた福音書の物語が史実だという根拠はなく、福音書は著者もいうように「歴史小説」だが、そこには独特な人物像が浮かび上がってくる。それは「神の子」でも「愛の説教者」でもなく、皮肉な譬え話でユダヤ教の律法やローマ帝国の支配体制を批判した異端者である。

たとえば有名な「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」という言葉は「政治と宗教は別だ」と解釈されているが、イエスの真意は違う。デナリ貨幣には皇帝の顔が彫ってあるが、律法では異邦人の偶像のある貨幣は神殿への献金には使えない。だから皇帝への税に使えばいいじゃないか、と彼は皮肉ったのだ。

このようにユダヤ教の律法を相対化し、ローマの支配を間接的に批判することがイエスのテーマだった。彼の教えはローマの属領として律法で二重に支配されていた民衆の不満を代弁し、律法を超える普遍主義だったがゆえに、彼はローマ帝国からもユダヤ律法からも警戒され、処刑されたのだ。

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