「戦後80年談話」は見送られ、石破首相は戦没者追悼式で「あの戦争の反省と教訓を今改めて深く胸に刻まねばならない」と述べたが、何を反省するのかはいまだにはっきりしない。日米戦争がバカげた戦争だったことは明らかだが、日中戦争はどうか。そもそも陸軍は、何のためにあれほど戦線を拡大したのか。
一般には昭和陸軍の勇ましいイメージしか知られていないが、本書によるとその原点には大正陸軍のルサンチマンがあったという。第一次大戦の被害が予想をはるかに超えて大きかったため、世界的に「アンチ・ミリタリズム」の風潮が強まり、日本でも兵士が制服を着て街を歩けなくなった。
大正デモクラシーで議会の力が強まると軍縮の圧力となり、宇垣軍縮でリストラがおこなわれた。陸軍の中でも、社会主義の影響を受けた「革新派」が増えた。1930年代の大不況の中で青年将校は農村の窮乏化を憂い、財閥や政党を敵視し、暴力によって権力を掌握するクーデタ未遂事件をたびたび起こした。
石原莞爾は満州に計画経済を建設しようとして満州事変を起こしたが、これは陸軍の大勝利となり、世論は逆転して軍国主義一色となった。昭和陸軍は時代の花形となり、統制派が主要ポストをおさえたが、その中枢だった永田鉄山が暗殺されると命令系統が混乱し、二・二六事件で暴発した。
これを鎮圧した石原は政局に介入し、1937年に宇垣内閣の組閣を阻止し、ともに満州事変を起こした林銑十郎を首相にした。ところがこの政治介入に軍縮を求める世論が反発し、梅津陸軍次官が林や石原など「満州派」の人事に反対したため、林首相は石原を参謀本部から追放した。
続きは8月25日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)
一般には昭和陸軍の勇ましいイメージしか知られていないが、本書によるとその原点には大正陸軍のルサンチマンがあったという。第一次大戦の被害が予想をはるかに超えて大きかったため、世界的に「アンチ・ミリタリズム」の風潮が強まり、日本でも兵士が制服を着て街を歩けなくなった。
大正デモクラシーで議会の力が強まると軍縮の圧力となり、宇垣軍縮でリストラがおこなわれた。陸軍の中でも、社会主義の影響を受けた「革新派」が増えた。1930年代の大不況の中で青年将校は農村の窮乏化を憂い、財閥や政党を敵視し、暴力によって権力を掌握するクーデタ未遂事件をたびたび起こした。
石原莞爾は満州に計画経済を建設しようとして満州事変を起こしたが、これは陸軍の大勝利となり、世論は逆転して軍国主義一色となった。昭和陸軍は時代の花形となり、統制派が主要ポストをおさえたが、その中枢だった永田鉄山が暗殺されると命令系統が混乱し、二・二六事件で暴発した。
これを鎮圧した石原は政局に介入し、1937年に宇垣内閣の組閣を阻止し、ともに満州事変を起こした林銑十郎を首相にした。ところがこの政治介入に軍縮を求める世論が反発し、梅津陸軍次官が林や石原など「満州派」の人事に反対したため、林首相は石原を参謀本部から追放した。
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