毎年8月になると出てくる原爆ネタだが、新事実が書いてあるわけではない。今までと違うのは、アメリカが原爆投下を正当化する理由としてきたコスト最小化論を検証したことだろう。
沖縄戦で予想外に大きな損害をこうむった米軍は、次の九州上陸(オリンピック作戦)や本土決戦(コロネット作戦)に消極的だった。オリンピック作戦は1945年11月、コロネット作戦は46年3月に予定され、両方あわせて「ダウンフォール作戦」と呼ばれた。
スティムソン陸軍長官は「ダウンフォール作戦で米軍に100万人の死傷者が出る」と述べた。これが「原爆は100万人の命を救った」といわれる根拠だが、統合参謀本部の予想では本土決戦の戦死者は4万人だった。ただ本土決戦では沖縄戦(死者1.3万人)よりはるかに多くの死者が出ることは確実で、米軍のコストを最小化する戦略として原爆は有力だった。
もう一つの論点は、原爆投下なしで日本は降伏したのかという問題である。ヤルタ会談ではソ連が対日参戦する密約がかわされたが、日本政府はこれを知らず、ソ連の仲介で停戦に持ち込もうとしていた。ソ連が参戦したら大きな衝撃を受け、降伏するという予想が正しいとすれば、原爆投下は戦略的には不要だったことになる。
ポツダム宣言との関係もよく議論になる。日本に降伏を呼びかけるポツダム宣言が出されたのは1945年7月26日だが、その前日に陸軍長官と陸軍参謀総長は原爆投下を承認した(トルーマン大統領は命令しなかった)。巨額の予算を投じて完成した原爆を使うために、ポツダム宣言は日本政府に受け入れられない「無条件降伏」の条件を出したのではないか。
続きは8月11日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)
沖縄戦で予想外に大きな損害をこうむった米軍は、次の九州上陸(オリンピック作戦)や本土決戦(コロネット作戦)に消極的だった。オリンピック作戦は1945年11月、コロネット作戦は46年3月に予定され、両方あわせて「ダウンフォール作戦」と呼ばれた。
スティムソン陸軍長官は「ダウンフォール作戦で米軍に100万人の死傷者が出る」と述べた。これが「原爆は100万人の命を救った」といわれる根拠だが、統合参謀本部の予想では本土決戦の戦死者は4万人だった。ただ本土決戦では沖縄戦(死者1.3万人)よりはるかに多くの死者が出ることは確実で、米軍のコストを最小化する戦略として原爆は有力だった。
もう一つの論点は、原爆投下なしで日本は降伏したのかという問題である。ヤルタ会談ではソ連が対日参戦する密約がかわされたが、日本政府はこれを知らず、ソ連の仲介で停戦に持ち込もうとしていた。ソ連が参戦したら大きな衝撃を受け、降伏するという予想が正しいとすれば、原爆投下は戦略的には不要だったことになる。
ポツダム宣言との関係もよく議論になる。日本に降伏を呼びかけるポツダム宣言が出されたのは1945年7月26日だが、その前日に陸軍長官と陸軍参謀総長は原爆投下を承認した(トルーマン大統領は命令しなかった)。巨額の予算を投じて完成した原爆を使うために、ポツダム宣言は日本政府に受け入れられない「無条件降伏」の条件を出したのではないか。
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