厚生年金には「事業主負担」という奇妙な制度がある。月額報酬に対する社会保険料率は約30%だが、それを「労使折半」ということにして企業が15%負担する。企業にとってはこれは人件費なので、長期的にはすべて賃金に転嫁される。これを「労働者の負担をごまかす制度だ」という人がいるが、それは逆である。年金制度は、企業が労働者に年金を払う制度から始まったのだ。
その起源は19世紀のビスマルクにある。彼が世界に先駆けて社会政策を実施したのは、イギリスやフランスに遅れて統一国家になったドイツには新たに獲得できる植民地がほとんどなく、工業化で富を増やすしかなかったからだ。ドイツを統一するためにはプロイセンが他の諸邦を併合するしかないと考え、軍備増強につとめた。
その一環として兵士の体力を強化し、遺族の生活を保障する社会政策を整備した。1883年に健康保険法、84年に労災保険法、89年には老齢保険法を制定し、国民はいずれかの保険に加入を義務づけられた。保険料の2/3は労働者が負担し、残りは企業が負担する方式だった。
日本の厚生省も日中戦争の最中の1938年に設立され、傷病兵のために健康保険ができた。1941年に厚生年金ができたのも、戦争に行く兵士と家族の生活を保障する制度であり、引退後の老人の生活を保障するものではなかった。厚生年金ができたときの支給開始年齢は55歳だったが、当時の平均寿命は47歳だったのだ。
続きは7月14日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)
その起源は19世紀のビスマルクにある。彼が世界に先駆けて社会政策を実施したのは、イギリスやフランスに遅れて統一国家になったドイツには新たに獲得できる植民地がほとんどなく、工業化で富を増やすしかなかったからだ。ドイツを統一するためにはプロイセンが他の諸邦を併合するしかないと考え、軍備増強につとめた。
その一環として兵士の体力を強化し、遺族の生活を保障する社会政策を整備した。1883年に健康保険法、84年に労災保険法、89年には老齢保険法を制定し、国民はいずれかの保険に加入を義務づけられた。保険料の2/3は労働者が負担し、残りは企業が負担する方式だった。
日本の厚生省も日中戦争の最中の1938年に設立され、傷病兵のために健康保険ができた。1941年に厚生年金ができたのも、戦争に行く兵士と家族の生活を保障する制度であり、引退後の老人の生活を保障するものではなかった。厚生年金ができたときの支給開始年齢は55歳だったが、当時の平均寿命は47歳だったのだ。
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