ルポ年金官僚―政治、メディア、積立金に翻弄されたエリートたちの全記録
年金流用法案を批判すると、「年金財政は磐石だ」という類の反論が関係者から来る。確かに厚生年金は、GPIFの積立金が258兆円もあるので当分は心配ない。問題は国民年金である。これは1961年にできたときから問題を抱えた制度だった。

1955年に左右社会党が統一され、自由党と民主党が保守合同して、日本でも左右対決の時代が始まった。このとき労働組合という大組織を集票基盤とする社会党に対して、自民党は各議員の後援会しかなく、組織力において劣っていた。

これを補うために、後援会の中核になる農民や自営業者を年金で買収するのが国民年金の目的だった。無職まで対象にした「国民皆保険」は世界になかったが、貧しい日本でともに助け合うという合意があったため、保険料も年金も定額という平等主義(所得に対しては超逆進的)の年金ができた。

岸内閣は1959年に「全国民に年金を保障する」と公約して総選挙に圧勝し、国民年金法案を閣議決定した。財源の乏しい中で実施を急いだため、1961年に始まったときの支給額は月額わずか1000円だったが、初期の受給者は保険料を払わないで年金をもらえたので大喜びだった。

のちに国の拠出金を入れて年金支給額は増額されたが、最低限度の生活を維持できる金額ではなかった。他方で初期には受給者より被保険者のほうがはるかに多かったので積立金が大幅に余り、政治家の利権になった。全国に「グリーンピア」などの保養所を建てて官僚が天下った。

「基礎年金」という妥協の産物

このように国民年金は政治の産物だったので、その後もこの扱いをめぐってたびたび年金法改正がおこなわれた。中でも最大だったのは1985年改正で、これは国鉄・電電公社などの民営化がきっかけだった。それまで公務員共済年金や国鉄共済年金など多くの年金が乱立し、特に国鉄は大幅な人員整理で年金が破綻していた。

これを統合するために年金制度を基礎年金と厚生年金の2階建てにし、共済年金は各官庁ごとの年金と3階建てにした。そのとき国民年金に第3号被保険者を設け、妻の年金保険料も夫が払うという建て付けにした。

これは当時さほど問題にならなかったが、家族が多様化すると、働く女性や独身女性との不公平が問題になってきた。独身男性にとっても他の男の妻の保険料を負担する筋合いはない。厚生年金が基礎年金経由で専業主婦の国民年金に化けている構図は、連合なども批判してきたが是正されない。国民年金は、自民党の票田だからである。

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1985年改正のとき第3号への拠出がそれほど大きな問題にならなかったのは「夫が妻の分も負担する」という根拠があったからだが、今回の年金流用法案は、第1号(自営業者)にも厚生年金を流用して「底上げ」するもので、これには合理的根拠がない。

年金部会では「厚生年金にはまだ余裕があるので、きびしい国民年金に財源をゆずって底上げすべきだ」という意見も出たが、こんな恣意的な流用を許すと、これからサラリーマンは年金官僚の便利な財布になり、医療のように年齢差別や所得差別で食い荒らされてしまう。

幻に終わった「最低保障年金」

この問題は民主党政権でも議論になり、1階部分を税に置き換える最低保障年金が提案された。2009年の総選挙で民主党は圧勝し、衆参両院で多数派になったが、鳩山内閣は9ヶ月で倒れ、 菅直人首相は消費税の増税を示唆したため、民主党は2010年の参議院選挙で過半数を割り、衆参のねじれが始まった。

2011年には東日本大震災が起こり、その対応をめぐる失敗で菅首相は退陣し、野田内閣になった。2012年の「大綱」には最低保障年金が入っていたが、これに自民党と公明党が反対し、3党合意はできなかった。自公は消費税の増税を恐れたのだ。

民主党の中でももめたあげく、消費税を5%増税し、そのうち4%を基礎年金の国庫負担や財政赤字の穴埋めにあてることになった。これでは財源は足りなかったが、党税調で「消費税率は2014年4月に8%、15年10月に10%にする」という案が決まった。年金改革の中身が決まらないまま、増税だけが決まったのだ。

一体改革関連法案は2012年3月に提出されたが、そこでは年金改革は「政府はこの法律の施行後3年を目処として所要の措置を講ずるものとする」と書かれ、2015年以降に先送りされた。これをもとに民主・自民・公明の3党合意が結ばれて法案が成立し、小沢派議員50人が離党した。

この年の暮れの総選挙で民主党は敗北し、年金改革は安倍政権に引き継がれたが、社会保障制度改革国民会議は最低保障年金の棚上げを決めた。こうして2003年から民主党が提案してきた最低保障年金は、法案にも入らないまま忘れられた。

その原因は増税をめぐる党内抗争と財源不足だったが、もう一つの隠れた原因は年金官僚の妨害だった。1階部分をすべて税にすると財務省の所管になり、厚労省の最大の利権である社会保険料の一角が失われる。年金官僚はあくまでも社会保険料という牙城を守りたかったのだ。