ソシュールを読む (講談社学術文庫)
私の学生時代には「構造主義」が流行したが、レヴィ=ストロースがその元祖としたのがソシュールだった。そのテキストは当時は『一般言語学講義』しかなかったので、ソシュール言語学は歴史を否定する静的な構造分析と考えられ、サルトルは「構造主義はブルジョワジーがマルクスに対して築いた最後の砦である」と言った。

しかし『講義』はソシュールの講義を聞いた学生のノートを集めたもので、未整理なばかりでなく、学生の理解した範囲の思想である。ソシュールは言語学についての著書を書いていたが、未完に終わった。1955年にそのドラフトが見つかり、そこから彼の思想を再構築する作業が始まった。

本書の前半はその原資料からソシュールの思想を復元する作業の解説で、一般の読者は退屈だろうが重要な発見があった。従来はラング(構造)がパロール(言葉)に先立つと理解されていた彼の思想が、実はそうではなかったのだ。原資料には、『講義』にはない次のような言葉がある。
思想は言葉による表現を無視すると、無定型の不分明なかたまりに過ぎない。 記号の助けがなくては二つの観念を明瞭にいつも同じように区別できない。思想はそれだけ取ってみると星雲のようなものであり、必然的に区切られているものは一つもない。(強調は引用者)

この星雲(nébuleuse)は言葉として分化する前のイメージを表わし、ソシュールは言葉に先立つ「純粋観念」を否定した。これは歴史に対して静的構造を対置したのではなく、本質的な観念からそれを表現する記号が派生すると考えるデカルト以来の本質主義に対して、観念が言葉によってつくられると考えたのだ。

続きは池田信夫ブログマガジンで(初月無料)