「AIは意味を理解していない」と書くと「意味なんか理解しなくてもいい」というコメントがよくある。これはある意味では正しい。英文和訳のような単純作業では、言葉を置き換えればいいので、意味を理解する必要ない。大規模言語モデル(LLM)は、もともと翻訳のために開発されたものだ。
しかしGPTは「私の悩みを解決してほしい」といった主観的な質問に答えるのは苦手だ。その意味がわからないからだ。私がどういう人物か知らないと、その悩みにも答えられない。LLMは既存の言葉を組み合わせるだけなので、そこでは意味は文脈の集合にすぎない。
記号(シニフィアン)と意味(シニフィエ)の関係は、アウグスティヌス以来、人類の謎である。19世紀までの言語学は言葉を「物の名前」と考え、その目録をつくった。ソシュールはそれを否定し、意味は実体ではなく他のシニフィアンとの差異であり、その関係は恣意的だと考えた。
だがそこでも言語は意識の産物であり、意味を生み出すのは「社会の慣習」だった。丸山圭三郎は、ソシュールの「言語論的転回」はプラトン以来の本質主義を否定するようでいながら、言語にラング(言語体系)という本質を想定していたと批判する。そこには「語る主体」が意味を生み出すという意識中心主義があった。
続きは1月24日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)
しかしGPTは「私の悩みを解決してほしい」といった主観的な質問に答えるのは苦手だ。その意味がわからないからだ。私がどういう人物か知らないと、その悩みにも答えられない。LLMは既存の言葉を組み合わせるだけなので、そこでは意味は文脈の集合にすぎない。
記号(シニフィアン)と意味(シニフィエ)の関係は、アウグスティヌス以来、人類の謎である。19世紀までの言語学は言葉を「物の名前」と考え、その目録をつくった。ソシュールはそれを否定し、意味は実体ではなく他のシニフィアンとの差異であり、その関係は恣意的だと考えた。
だがそこでも言語は意識の産物であり、意味を生み出すのは「社会の慣習」だった。丸山圭三郎は、ソシュールの「言語論的転回」はプラトン以来の本質主義を否定するようでいながら、言語にラング(言語体系)という本質を想定していたと批判する。そこには「語る主体」が意味を生み出すという意識中心主義があった。
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