今年は戦後80年。石破首相は「戦後80年談話」を出すつもりらしい(8月まで彼が首相なら)。きょうも国会で猪瀬直樹氏の著書『昭和16年夏の敗戦』の「価値は不滅」だと語った。

こんな認識で80年談話を出すのはやめてほしい。猪瀬氏の本に書かれている「総力戦研究所」の図上演習は、実際の開戦決定とは無関係な頭の体操であり、そこで出た結論(日米の戦力差が大きいので戦争には勝てない)はもともと陸海軍の共通認識だった。

実際の日米戦争の指針となった「対米英蘭蒋戦争終末促進ニ関スル腹案」でも、日米戦争に勝つ戦略は書かれていない。そこではドイツと提携してドイツがまずイギリスを屈服させ、あわせてソ連も打倒すれば、アメリカは継戦意志を失うだろうという願望が書いてあるだけだ。

陸軍作戦部長 田中新一 なぜ参謀は対米開戦を叫んだのか? (文春新書)
ここでは日米の戦力差が10倍以上あることは大前提で、最初に南方の資源地帯を占領して石油などを獲得して持久戦の「自給態勢」をとることになっていた。日本が単独でアメリカに勝てないことは東條首相も軍幹部も知っていたのだ。

東條も陸軍省の武藤軍務局長も対米交渉で妥協しようとしたが、参謀本部の田中新一作戦部長が強硬な方針を出して譲らなかった。彼を中心とする参謀本部の強硬論が、最終的に開戦に突入した決め手だった。では田中はどうすれば日本が勝てると考えていたのか。

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