人工知能(機械学習)が大乗仏教に似ているという発想は新しいものではない。 30年以上前にヴァレラが そういう発想でニューラルネットの理論を考えた。このとき彼がモデルにしたのは龍樹( ナーガールジュナ)の中観思想だったが、それは彼の早すぎる死によって単なる比喩に終わってしまった。
本書は「レンマ学」という新しい学問を創造するというが、発想はヴァレラや丸山圭三郎とほぼ同じだ。話は南方熊楠から始まるが、中身は比喩以上のものではない。違いは中観の代わりに華厳経をモデルにしていることぐらいだ。
レンマというとわかりにくいが、これは山内得立が西洋哲学の基本思想であるロゴスに対して、東洋思想の特徴としたものだ。私が『平和の遺伝子』で使った言葉でいうと「古い脳」の動作原理で、デカルト的な数学の論理とは異なる「空気を読む」システムである。
思想的には新しくないが、粘菌やタコなど、いろいろな分野を横断して中枢機能をもたない分散知能をレンマに結びつける発想はおもしろい。ただその結論がチョムスキーの「デカルト派言語学」になってしまうのはぶち壊しだ。チャットGPTなら「それはチョムスキーじゃなくてウィトゲンシュタインでしょう」というだろう。
続きは2月10日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)
本書は「レンマ学」という新しい学問を創造するというが、発想はヴァレラや丸山圭三郎とほぼ同じだ。話は南方熊楠から始まるが、中身は比喩以上のものではない。違いは中観の代わりに華厳経をモデルにしていることぐらいだ。
レンマというとわかりにくいが、これは山内得立が西洋哲学の基本思想であるロゴスに対して、東洋思想の特徴としたものだ。私が『平和の遺伝子』で使った言葉でいうと「古い脳」の動作原理で、デカルト的な数学の論理とは異なる「空気を読む」システムである。
思想的には新しくないが、粘菌やタコなど、いろいろな分野を横断して中枢機能をもたない分散知能をレンマに結びつける発想はおもしろい。ただその結論がチョムスキーの「デカルト派言語学」になってしまうのはぶち壊しだ。チャットGPTなら「それはチョムスキーじゃなくてウィトゲンシュタインでしょう」というだろう。
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