日本史 敗者の条件 (PHP新書)
田沼意次といえば昔は賄賂を取った金権政治家とされていたが、大石慎三郎『田沼意次の時代』が、1次史料でそのイメージをくつがえした。田沼が賄賂を取ったという話はほとんど政敵の流した噂であり、彼は商業の発展につとめ開拓事業をした改革者だったという。

これに悪乗りして、リフレ派が「田沼は積極財政だった」とか「リフレ派だった」などと礼讃したが、これは嘘である。田沼が株仲間や会所(企業)を認可して冥加金(税)を徴収した目的は、商業の活性化ではなく、商人への増税で財政再建しようとしたのだ。リフレ派のきらいな消費税と同じだ。

当時(18世紀後半)幕府の財政が行き詰まった原因は、年貢に依存した現物経済で、増税できなくなったことだ。それを打開するため、田沼は間接税の導入で貨幣経済を活用したが、幕府が特定の商人に認可を与えた結果、その商人が取引を独占し、許認可の見返りに役人に賄賂を渡す風潮が広がった。

その収賄の中心が田沼であり、最初は600石の旗本だった田沼は5万7000石の大名に成り上がった。もちろん役人が賄賂を取ったのは彼が初めてではないが、田沼が金権政治家だったという汚名は根拠のない話ではない。結果的には彼の改革はほとんど失敗し、彼が失脚すると白紙に戻ってしまった。

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