「戦前」の正体 愛国と神話の日本近現代史 (講談社現代新書)
外務省は国連の女性差別撤廃委員会が「男系男子に皇位継承を限る皇室典範は女性差別だ」として改正を勧告したことへの対抗措置として、同委員会への日本の任意拠出金を打ち切ると通告した。

外務省の主張は「天皇や皇族に基本的人権はないので、女性差別には該当しない」というものだが、外国人はそんな憲法の規定は知らないので、海外から女性差別とみられることは避けられない。そもそも女系天皇を認めないことに実質的な意味はあるのだろうか。

1889年に皇室典範を定めたのは、法制局長官だった井上毅である。制定当初の議論では、女帝も排除されていなかった。過去に女帝はいたし、他国にも女王は珍しくないからだ。

ところが井上は「男系男子」にこだわった。これでは側室を廃止すると後継者がなくなるリスクがあったが、彼は「たとえば女帝を源家から迎えた場合、皇室が源家になってしまう」と反対した。
欧羅巴(ヨーロッパ)ならば源姓と称へながら源姓の人も女系の縁にて皇位を継ぐこと当然なりとあきらむるなり。欧羅巴の女帝の説を採用して我が典憲とせんとならば、序にて姓を易ふることをも採用あるべきか、最も恐ろしきことに思はるるなり。(勤具意見)

「姓を易ふること」とは易姓革命、つまり天皇家から別の王家に変わる革命だが、これは奇妙な論理である。中国の皇帝には姓があるが天皇家にはないので、たとえば小和田雅子が天皇と結婚すると「雅子」になる。その子も「愛子」であり、彼女が一般男性と結婚して彼が皇室に入ると姓はなくなる。

したがって女系天皇を認めても天皇家が源家になることはなく、井上のこだわった「万世一系」の皇統は変わらない。そもそも天皇は万世一系ではなく、男系男子で継承されてきたわけでもない。それは明治国家を日本書紀の神話で統一しようとした井上の創作した物語なのだ。

井上は「選択的夫婦別姓論者」だった

これは同時に制定が進んでいた民法とも関係がある。1875年の太政官布告で全国民に「氏の使用」が義務づけられたときは夫婦別氏だった。その後、民法制定の過程で井上毅は、戸籍法についての意見書で「戸籍は一戸一籍とするを必とす、姓氏は必しも一戸一姓ならざるべし」と書き、夫婦同姓の強制に反対した。

当時は家を一つの姓で統一する習慣はなく、特に武家では妻は実家の姓を名乗ることが多かったので、それを無理に統一すると、どっちの姓を名乗るかをめぐって「百端の紛雑」を来たすという。つまり井上は選択的夫婦別姓論者だったのだ。

当時の民法をめぐっては、井上のような保守派は夫婦別姓を主張したが、ドイツ人の法律顧問がドイツのファミリーネームをモデルにして夫婦同姓の民法典をつくり、そこに日本の「家」制度を接合して、戸主を頂点とする長子相続の民法ができた。

ところがこれを混同して、井上が夫婦同姓の民法をつくったと思っている人がいる。歴史学者の加藤陽子氏は「(井上の)姓が変わっては万世一系という観念が崩れるとの無意識ゆえの呪縛こそが、別姓を望む他者の選択をも制限すべきだとの意識を支えているように思います」という。

これは逆である。井上は天皇家に女系の血が入らないように男系男子の皇室典範をつくり、民法でも中国や韓国と同じ夫婦別姓を想定していたのだ。しかしこれは儒教の男尊女卑の思想なので、明治の民法にも取り入れられなかった。選択的夫婦別姓に反対する産経新聞などの支離滅裂な主張は、日本の伝統に反するものだ。