新版 仏教と事的世界観
廣松渉は仏教について聞かれると「印哲はサボっていたので苦手だ」といっていたが、この対談を読むと、大乗仏典を読んでくわしく仏教を勉強していたことがわかる。彼の事的世界観はウィトゲンシュタインの「世界は事の総体であって物の総体ではない」という言葉から来たものだが、物の実在を否定する仏教の<空>の哲学に近い。

西洋哲学が「有の哲学」だとすれば、仏教は「無の哲学」だが、<空>という概念は有と無の区別も認めない。実体概念を否定する廣松の関係主義は、仏教の<縁起>である。その応用問題として本書で論じているのは、観測問題などの量子力学のパラドックスである。

これは昔から指摘されていたが、ベルの不等式は成立しないことが実験で証明され、パラドックスではなくなった。宇宙には局所的な因果関係を超えて伝わる遠隔作用があり、今ではそれを実装した量子コンピュータができている。

このような遠隔作用は、宇宙が多くの物の総体ではなく、非局所的な事の総体であることを示しているが、これを説明する哲学は存在しない。物理学者も「世界は関係からできている」というが、それだけでは遠隔作用は説明できない。

ドイツ観念論以降の西洋哲学はすべて本質的には唯名論なので、現象を超える実在(物自体)を説明できない。そこでは物自体は認識とは無関係だと想定しているが、量子力学は認識と実在が不可分であることを示し、このアポリアをさらに深刻にした。しかし仏教にその答はあるのだろうか。

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