ハイデガーのいう「惑星的思考」のできる日本人は数少ないが、井筒俊彦はその一人だった。本書もシーア派イスラムからジャック・デリダまで縦断するエッセイ集だが、そこには一つのモチーフがある。人類に普遍的な文化はあるのかということだ。
遺伝的な「普遍文法」を追求したチョムスキーがたどりついたのは、ほとんど中身のないミニマリスト理論だった。地球上の7000余の言語には(同じ起源から派生したものを除いて)文法にも語彙にもまったく共通性がない。言語は異文化の共約不可能性を示しているのだ。
しかし言語哲学には普遍性がある。世界を言葉による差異の体系とみる思想は、西洋では20世紀にソシュールが提唱したが、東洋には昔からあった。荘子は「言葉にしなければ万物に区別はないが、言葉にした途端に別々の物になる」といい、老子はこれを木にたとえた。森の中の木には名がないが、それを加工すると柱や器という名がついて存在する。
そういう論理を徹底的に追究した仏教の中観派は、言葉に対応するのは「空」だという。それに対して唯識派は、言葉より深い層に主体と客体の不可分なアラヤ識があると考えた。これはフロイトのような個人的な無意識ではなく、共同体の中で歴史的に共有される暗黙知である。
これを著者は「言語アラヤ識」と呼び、ロゴスを超える深層構造と考える。それは多くの人々の経験の蓄積なので共約不可能だが、その構造には普遍性があるかもしれない。生成AIが発見したのも、そういうビッグデータの数学的構造は多くの言語に共通だということだった。
続きは12月30日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)
遺伝的な「普遍文法」を追求したチョムスキーがたどりついたのは、ほとんど中身のないミニマリスト理論だった。地球上の7000余の言語には(同じ起源から派生したものを除いて)文法にも語彙にもまったく共通性がない。言語は異文化の共約不可能性を示しているのだ。
しかし言語哲学には普遍性がある。世界を言葉による差異の体系とみる思想は、西洋では20世紀にソシュールが提唱したが、東洋には昔からあった。荘子は「言葉にしなければ万物に区別はないが、言葉にした途端に別々の物になる」といい、老子はこれを木にたとえた。森の中の木には名がないが、それを加工すると柱や器という名がついて存在する。
そういう論理を徹底的に追究した仏教の中観派は、言葉に対応するのは「空」だという。それに対して唯識派は、言葉より深い層に主体と客体の不可分なアラヤ識があると考えた。これはフロイトのような個人的な無意識ではなく、共同体の中で歴史的に共有される暗黙知である。
これを著者は「言語アラヤ識」と呼び、ロゴスを超える深層構造と考える。それは多くの人々の経験の蓄積なので共約不可能だが、その構造には普遍性があるかもしれない。生成AIが発見したのも、そういうビッグデータの数学的構造は多くの言語に共通だということだった。
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