私の新著『平和の遺伝子:日本を衰退させる「空気」の正体』が、白水社から本日発売された(Kindle版は3ヶ月以内に発行)。まえがきを紹介しておく。

平和の遺伝子:日本を衰退させる「空気」の正体1989年の大納会で日経平均株価が3万8915円をつけたとき、それが最高値になると思った人はほとんどいなかった。世界史上空前の高度成長を遂げ、自動車やテレビや半導体で世界を圧倒した日本の株価は、永遠に上昇するかのように思われた。唯一の心配は、その成功によってアメリカから攻撃されることだった。
 
それから35年たち、日経平均はようやくその高値を抜いたが、ニューヨーク・ダウ平均株価は同じ期間に17倍になった。私は人生の半分をバブル前、半分をバブル後に過ごしたことになるが、かつてあれほど成功した日本が、その後「失われた10年」といわれ、それが「失われた20年」になり、最近は「衰退途上国」といわれるようになったのはなぜか、いまだによくわからない。
人口が減ったのは一つの原因だが、人口の減っている国は日本だけではない。労働生産性は、1970年代から一貫してG7(先進7ヶ国)で最低である。その原因は日本人の能力が低いからではない。日本人の平均知能指数は世界一だという調査もある。

日本が衰退した原因は複雑だが、一つは日本人がリスクを取って投資しなくなったことだろう。特に企業は1998年から貯蓄超過になり、それが25年にわたって続いている。企業は家計から金を借りて投資する組織だから、それが貯蓄しているのでは、経済が成長するはずがない。
 
白水社から『「空気」の構造』という本を出したのは、2013年だった。この「空気」というのは山本七平の言葉で、「空気読め」などと同調圧力を表現するのによく使われる。日本人なら誰でもピンと来ると思うが、外国人には伝わりにくい。青木昌彦には「空気という言葉は学問的ではない」と批判され、それ以来、この「空気」の実態は何だろうと気になっていた。
 
それをあらためて考えようと思ったきっかけは、2020年の新型コロナ流行である。これはヨーロッパでは危険な感染症だったが、日本ではインフルエンザとほとんど変わらない風邪だった。ところが日本でも緊急事態宣言が出され、ヨーロッパと同じようなパニックが始まった。政府の対応は支離滅裂で、日本人には危機管理ができないことがよくわかった。それは国家意識がなく、政治が世間の「空気」で動くからだ。
 
最初はこの問題は進化心理学の応用で説明できると思ったのだが、問題は意外にむずかしく、そうこうしているうちに2022年にウクライナ戦争が起こった。いまだに侵略したロシアと反撃するウクライナが「どっちもどっちだ」という人々が多く、日本人の平和ボケを改めて痛感した。

この平和ボケは(『丸山眞男と戦後日本の国体』を書くきっかけになった)安保法制をめぐる騒動にも通じる問題で、その原因は直接には平和憲法だが、あの非現実的な憲法が今も支持される背景には、意外に根深い問題があるのではないか。
 
それは多くの日本人に古代から共有されてきた「平和の遺伝子」ともいうべきものだ。もちろんこれは生物学的なDNAではなく、言語や習慣のように脳の長期記憶に蓄積される暗黙知である。これは日本では「形式知」と対立する職人芸のようなものと誤解されているが、マイケル・ポランニーの定義では人が外界を認識するとき必要な解釈の枠組で、彼の影響を受けたトマス・クーンが「パラダイム」と名づけた 。

本書は縄文時代から受け継がれてきた日本人の暗黙知を文化遺伝子の進化として考える試みである。文化は遺伝形質のように突然変異でランダムに進化するのではなく、目的意識的につくられて社会に蓄積され、親から子へと学習によって蓄積される。そのメカニズムは、最近の生物学でわかってきた。第Ⅰ部はこれを解説したものだが、進化心理学に興味のない読者は第Ⅱ部から読んでいただいてもよい。

第Ⅱ部以降はほぼ時系列で日本の歴史を追っているので、それほど抵抗なく読めると思う。これは歴史を網羅的に解説したものではなく、日本人の国家意識を縄文時代の「最古層」から一貫する暗黙知として考えたものだ。そこにみられるのは、コミュニティを超える国家権力を拒否し、身内の合意を守る文化遺伝子である。

目次

序章  新型コロナで露呈した「国家の不在」 
Ⅰ 暗黙知という文化遺伝子 
 第一章 文化はラマルク的に進化する
 第二章 「自己家畜化」が文化を生んだ 

Ⅱ 国家に抗する社会 
 第三章 縄文時代の最古層 
 第四章 天皇というデモクラシー 

Ⅲ 「国」と「家」の二重支配 
 第五章  公家から武家へ 
 第六章 長い江戸時代の始まり 

Ⅳ 近代国家との遭遇 
 第七章 明治国家という奇蹟  
 第八章 平和の遺伝子への回帰 
 第九章 大収斂から再分岐へ 
 終章 定住社会の終わり