生態史観と唯物史観 (講談社学術文庫 977)
戦後の日本で歴史に残る思想家といえば、廣松渉と丸山眞男と梅棹忠夫ぐらいだろう。ただ梅棹の「文明の生態史観序説」は世界の歴史を数十ページで総括する荒っぽいもので、彼もこの発想をその後ほとんど発展させなかったので、スケッチに終わってしまった。

主流の歴史学ではマルクス主義的な唯物史観が支配的だったので、それとあまりにもかけ離れた梅棹の発想は、ほとんど相手にされなかった。唯物史観の側からの批判として、梅棹が「いたく心をうたれた」と書いているのが本書である。

廣松は東アジアの歴史に関する文献を渉猟し、生態史観を世界の「複線的な歴史」を理解する新しい枠組として唯物史観を補完するものと位置づけ、マルクスの「アジア的生産様式」の問題との関係で検討している。
 
これはマルクスが『経済学批判』序説の有名な発展段階の記述の中で「経済的社会構成が進歩してゆく段階として、アジア的、古代的、封建的、および近代ブルジョア的生活様式をあげることができる」と書いている中の「アジア的」というのが古代に先行するのか、それとも別の社会のことなのかという問題である。
 
この論争の中で有名になったのが、ウィットフォーゲルの水利社会の概念で、これが梅棹理論に近いというのが廣松の見立てである。ここではユーラシア大陸が水利社会と非水利社会にわけられ、乾燥地帯で大規模な灌漑設備の必要な前者では水資源を管理するために専制国家ができ、その必要がない湿潤地帯では地域の自律的な発展が可能だった。
 
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