身体化された心―仏教思想からのエナクティブ・アプローチ
大乗仏教は近代の西洋哲学に似ているが、その類似点を拾い出しても意味はない。大事な問題は、大乗仏教が西洋哲学の問題を解決したのかということだ。フランシスコ・ヴァレラはそう考えた。

彼はニューロサイエンスの先駆者だが、彼のオートポイエーシス(自己組織化)理論は、神経細胞の認識が外界からの刺激と1対1に対応していないことを見出した。たとえば次の図形は、ある被験者には若い女性に見え、別の人には老婆に見える。どっちに見えるかは、図形からは導けない。

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このような実験を重ねた結果、ヴァレラがたどりついたのは認識論的ニヒリズムだった。人間の認識は身体と環境の社会的な相互作用で自己組織化されるのであり、主観とは独立の実在も、対象から独立の自我も存在しない。彼はこのような思想を大乗仏教の「空」の哲学に見出す。

その先駆として本書があげるのは、西谷啓治である。彼はハイデガーに学び、その影響を受けてニヒリズムを生涯のテーマとしたが、日本に帰国してからは大乗仏教を研究した。そこにはニーチェで行き詰まった西洋哲学を乗り超え、ハイデガーが追求した東洋と西洋の違いを超える「惑星的思考」があるという。

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