新版 はじまりのレーニン (岩波現代文庫)
中沢新一氏の番組をつくっていたとき、彼に「これから編集者にあやまらないといけない。つきあってくれないか」といわれた。新宿の飲み屋で彼が岩波の編集者に話した内容は、「1年前に約束したレーニン論が書けない。申し訳ないが、この話はなかったことにしてほしい」というものだった。

編集者は青ざめていろいろ収拾策を提案したが、横で聞いていた私が思いつきで「今までのレーニン論の逆をやってはどうか」と提案した。現代の哲学者のレーニン論は、廣松渉のようにレーニンの唯物論を素朴実在論として批判し、彼が『唯物論と経験批判論』で攻撃したボグダーノフこそ新しい認識論だったと評価するものだ。

ボグダーノフはマッハ主義者で、その認識論はフッサールからポストモダンに至る20世紀の哲学の主流だが、私はこれに納得できなかった。そんな「価値相対主義」では、革命はできない。行動を起こすには絶対的な価値を信じる必要がある。レーニンの「物質」とはそういうものだったのではないか…と話したら、中沢氏は「それだ!」といった。

そのときの思いつきだけで書き下ろしの本が1冊できたが、中身はレーニンとはほとんど関係ない。文献学的にもずさんで、レーニンがマッハを超える高度な認識論をもっていたわけではないが、そこには意外に新しい問題がある。それはポストモダンが行き詰まった今、考え直す価値があるかもしれない。

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