戦後80年たっても、高市早苗氏や百田尚樹氏のような皇国史観が語られるが、それは百田氏も認めるようにフィクションである。今では百田氏でさえ継体天皇の前で皇統は断絶したという説をとるが、本書は「万世一系」の立場から日本史を「物語」として語る。
平泉澄は歴史学界から葬られた人物だが、彼の「国史」は戦前の主流であり、東大の国史学科の指導者として天皇に進講し、その国体論は教科書にも記載された。
本書はさながら戦前の国定教科書で、天照大神などの「神代」から始まり、神武天皇に始まる天皇家の「皇紀」を中心として日本史を語る。おもしろいのは、南北朝時代が南朝の「吉野57年」として語られ、北朝が無視されていることだ。
平泉はこんな歴史を信じていたのだろうか。そうでないことは、彼が終戦後すぐ東大教授の職を辞して、故郷の宮司になったことでわかる。彼は皇国史観という歴史神学に大日本帝国のアイデンティティを求めたのだ。それはカール・シュミットが「政治神学」の哲学者としてナチスに殉じたのと似ている。
続きは10月21日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)
平泉澄は歴史学界から葬られた人物だが、彼の「国史」は戦前の主流であり、東大の国史学科の指導者として天皇に進講し、その国体論は教科書にも記載された。
本書はさながら戦前の国定教科書で、天照大神などの「神代」から始まり、神武天皇に始まる天皇家の「皇紀」を中心として日本史を語る。おもしろいのは、南北朝時代が南朝の「吉野57年」として語られ、北朝が無視されていることだ。
平泉はこんな歴史を信じていたのだろうか。そうでないことは、彼が終戦後すぐ東大教授の職を辞して、故郷の宮司になったことでわかる。彼は皇国史観という歴史神学に大日本帝国のアイデンティティを求めたのだ。それはカール・シュミットが「政治神学」の哲学者としてナチスに殉じたのと似ている。
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