増補 靖国史観 ――日本思想を読みなおす (ちくま学芸文庫)
今回の自民党総裁選では、高市早苗氏が靖国神社参拝の話を持ち出したことが敗因の一つだろう。首相がそんなことをしたら日米関係も日中関係もめちゃくちゃになるが、靖国神社はそこまでして守る伝統ではない。

その始まりは1862年に東京招魂社で行なわれた安政の大獄の慰霊行事だった。日本の伝統には、戦死者が神になるという信仰はない。「英霊」の概念は朱子学をもとにして藤田東湖のつくったもので、これに明治政府のつくった皇国史観を接合したのが靖国神社である。

戦後の日本をだめにした責任の一部は平和ボケの左翼にあるが、それに対抗する右翼のイデオロギーが皇国史観しかないため、男系天皇とか夫婦同姓など男尊女卑の家父長制が政治的スローガンになり、まともな論争が成立しない。

その原因は右翼の原体験が、終戦直後アメリカに憲法を押しつけられたトラウマにあるからだ。それは保守ではなく東京裁判史観への反抗だった。江藤淳がGHQの検閲を指摘し、『南京大虐殺のまぼろし』など東京裁判を批判する本が出たのは、1970年代である。保守派の反抗期は、戦後30年もたってから始まったのだ。

それは「歴史修正主義」として批判を浴びたが、大論争になったのは1990年代に「新しい歴史教科書をつくる会」が始まってからだ。これは東京裁判史観を脱却して「国民の物語」をつくる試みだったが、保守には東京裁判に対抗できる物語がなかったので内紛が起こり、消えてしまった。

最近の高市氏や百田氏のような劣化右翼は、また皇国史観という偽の物語に回帰している。日本の保守派は、反抗期から永遠に成熟できないのだろうか。

続きは10月7日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)