黒田日銀の実績を評価する「レビュー」の素材として日銀が書いた論文「非伝統的金融政策の効果と副作用」が話題になっている。そのポイントは次の通り。
国債のイールドカーブ全体の情報を集約した潜在金利を政策代理変数として FAVAR モデルを推計し、反実仮想分析を行った結果、わが国の一連の非伝統的金融政策は、生産や物価に対して一定の押し上げ効果があったこと、また特に QQE 以降の大規模な金融緩和はデフレではない状況を作り出すことに寄与したことが示された。

これが金融クラスタで、お笑いネタになっている。


この論文は、日銀が何もしなかったら発生したはずの潜在金利を考える。これはざっくりいうと「自然利子率+インフレ率」つまり「名目中立金利」と考えていいが、自然利子率がマイナスの場合はゼロ金利制約で見えない。

スクリーンショット 2024-09-26 135740
図1

潜在金利は図1のように最大マイナス4%になったと想定されるが、これは仮想の金利だから企業には見えない。したがって企業が潜在金利にもとづいて行動することもありえない。

ところがこの「反実仮想分析」では、見えない潜在金利にもとづいて企業が行動したらどうなるかをシミュレーションしているのだ。これは「何もしなかったら42万人死ぬ」でお笑いネタになった西浦博氏の論文と同じパラレルワールドのお伽話である。

見えない「潜在金利」で物価が下がる?

西浦論文と同じく現実の貸し出し金利がマイナスになることはなく、ゼロに貼りついただけだから、「マイナス4%の世界」を想定する意味はない。想定が事実でない場合には、任意の結論が成り立つ。これは論理学でよく知られたパラドックスである(対偶をとればわかる)。

また量的緩和によって潜在金利が上がることも下がることもない。それは実体経済の需給関係に中立な(インフレにもデフレにもならない)金利だから、日銀が変えることはできないのだ。現実の政策金利はゼロに貼りついたままで、2016年にマイナス0.1%にしたが、それ以上は下げられなかった。

それなのにこの論文では、図2のように量的緩和がなかったら、物価は最大マイナス2%まで下がっていたことになっている。現実には起こらなかった潜在金利が、なぜ物価に影響を及ぼしたのか。

スクリーンショット 2024-09-26 154726
図2 物価の反実仮想分析

現実の政策金利はずっとゼロだったが、2014年にはインフレ率が1.5%まで上がった。外為市場で大幅な円安が起こったためだ。これは黒田総裁のねらい通りだったが、1ドル=90円から110円までドル高になって止まったため、15年以降インフレも止まった。

ところがこの潜在金利シミュレーションによると、インフレ率はマイナス1.5%まで下がっていたはずだという。為替の要因はまったく入っていないのに、世界が金融危機から回復して成長しているときに、日本だけ大幅なデフレになったというのだ。それは企業が(何かの超能力で)見えない潜在金利を知っていたからだ。

初めに結論ありきの「御用論文」

量的緩和にそんな劇的な効果はなかったので、日銀がやったのは、国債を買い入れて長期金利を下げることだ。これには効果があり、長期金利は下がった。これは金融政策ではなく、日銀が民間のリスクを負担する財政政策である。

それによって総需要が増えたことは確かだが、鉱工業生産が2割増えたとか建設着工が4割増えたというのはおかしい。それならGDPが大きく上がるはずだが、黒田日銀で上がっていない(なぜかGDPのシミュレーションはない)。失業率は図のように白川時代から一直線に下がっている。

スクリーンショット 2024-09-26 151101
図3 完全失業率

全体としていえることは、

  1. マネタリーベースを増やす量的緩和には効果がなかった。
  2. 国債を買い入れて長期金利を下げる「日銀の財政政策」には効果があった。
  3. 物価に最大の影響を及ぼしたのは為替レートだった。

という常識的な結果だが、このうち3にはまったくふれていない。これによって「デフレではない状況を作り出すことに寄与した」というのは、日銀が長期金利を下げて民間のリスクを肩代わりすればいいということか。

日銀の金融研究所は何を研究してもいいが、金融政策だけは研究してはいけないらしい。中立ではありえないからだ。この論文の5人の著者のうち4人は企画局であり、これは中立な研究論文ではなく、レビューで好意的に評価してもらうために都合のいいデータだけ拾った御用論文といわざるをえない。