20世紀経済史 ユートピアへの緩慢な歩み 下
本書は1870年から2010年までの「長い20世紀」の歴史を語る本である。著者は経済学者なので2次史料に頼る上巻は中身が薄いが、下巻の発想はおもしろい。

20世紀の歴史の大きな謎は、第2次大戦後から1973年まで西側先進国では成長率が高く所得分配も平等化したのに、その後は成長率が低下し、所得格差が拡大したのはなぜかということだ。

これは日本では「高度成長」とその終わりと認識されているが、同じ現象がアメリカでも起こった。通説(新古典派成長理論)では、成長率が高かったのは戦争で資本が破壊されて分母が小さかったためで、資本の収穫が逓減して定常成長状態になると成長率は鈍化すると考えられているが、これでは格差が拡大した原因が説明できない。

著者の見方は逆で、この「栄光の30年」の原因は、1930年代のニューディール以来の社会民主主義が成功したからだという。大恐慌と戦争の体験は世界の人々に強烈な記憶となり、自由放任の資本主義は悲惨な戦争をまねくと多くの人が考えた。一部の人はソ連の社会主義を理想と考えたが、ほとんどの人は計画経済を望まなかった。

彼らが選んだのはルーズベルト以来の「大きな政府」だった。それはヨーロッパでは社会民主主義と呼ばれたが、アメリカではニューディール連合と呼ばれる民主党の路線だった。1972年までの大統領のうち、共和党はアイゼンハワーだけだが、彼もルーズベルトの路線を踏襲した。

その結果、政府が財政支出で景気を「微調整」するケインズ政策が繁栄と平等を実現したが、1970年代からインフレと失業が同時に起こるスタグフレーションに陥った。これを解決したのがサッチャーやレーガンの新自由主義だった――というのが通説だが、著者はそうではないという。

政治を動かすのは利害ではなくイデオロギー

新自由主義のコアであるマネタリストの金融政策を始めたのはレーガン大統領ではなく、カーター大統領の指名したボルカーFRB議長だった。彼が選ばれた1979年には、10%以上のインフレが続き、利上げが必要なことは明らかだったが、それが景気後退をまねいてFRBが批判を浴びることも明らかだった。

誰もFRB議長を引き受けない中でNY連銀総裁だったボルカーが指名されたが、彼はインフレ退治がすべての経済政策に優先するという固い信念の持ち主だった。彼はFF金利(政策金利)を10%から19%に上げ、失業率は10%を超えた。

議会はボルカーの無謀な金融政策を非難したが、レーガン大統領は彼を守った。それは彼がマネタリストの理論を信じていたからではなく、金融政策に興味も知識もなかったからだ。レーガンがやったのは大減税と軍備増強、そしてその結果としての大幅な財政赤字だった。

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アメリカの「双子の赤字」とドル為替レート

このため金利はさらに上がって民間の投資をクラウディングアウトし、大幅なドル高になり、貿易赤字も増える双子の赤字になった。レーガンはこの原因は日本の不公正貿易だとして、プラザ合意で円高誘導をおこない、日米構造協議で日本を攻撃した。

このような政策の結果、生産性は上がらず、成長率も所得の中央値も下がったが、サッチャー政権もレーガン政権も高い人気を続けた。その最大の原因は、この時期に社会主義が崩壊し、資本主義が冷戦に勝利したと思われたことだろう。

ブレジネフ以降のソ連の停滞で社会主義という理想は失われ、ゴルバチョフの改革はその全面的な崩壊をまねいた。市場経済がそれよりすぐれていることは明らかだったが、現実の新自由主義のパフォーマンスはそれほどでもなかった。

レーニンのボルシェヴィズムは社会主義というよりロシア的専制の変種だったが、社会主義は独裁の代名詞となり、クリントンからオバマに至る民主党政権も、新自由主義を否定しなかった。その結果、2008年以降の世界金融危機でも、オバマ政権は十分な財政出動をせず、大不況が長期化した。金利はほとんどゼロになったので、民間の代わりに政府が借りて総需要を支えるべきだったが、財政支出が不十分だったために「長期停滞」が起こった。

デロングの結論は、政治を動かすのは経済的利害ではなくイデオロギーだということである。社会主義のユートピアは消え、新自由主義のユートピアは実現しなかった。人々は社会が進歩に向かって歩んでいると信じているが、栄光の30年の繁栄は二度と戻ってこない。それはいろいろな幸運の重なった例外的な時代だったからだ。

日本についてはほとんど何も書いてないが、ここからいえるのは社民勢力が育たなかったことだ。特に社会党の左派が強く、右派が党内闘争に敗れて民社党や社民連などをつくったが、総評が左派だったので、自民党の対抗勢力にならなかった。それがいまだに二大政党にならない原因だろう。