「若いとき左翼でない人には心がない。年をとってからも左翼の人には頭がない」というのはチャーチルの言葉とされるが、出典は不詳である。もとはフランス革命についての言葉だという説もあり、かなり普遍的な現象なのだろう。
もう社会主義の時代は終わったとみんな思っているが、忘れたころにまた「脱成長のコミュニズム」などという精神的幼児が出てくるのをみると、なぜ社会主義があれほどの影響力をもったのかを考え直すことには意味がある。
林健太郎は晩年に東大総長や自民党の参議院議員などをつとめて保守派だと思われているが、1913年生まれだから、若いときは(多くのインテリと同じく)左翼だった。社会主義が労働運動から生まれたのはヨーロッパの話で、戦前の日本には労働運動と呼べるものはほとんどなかった。その支持者の多くは著者のようなインテリだった。
日本共産党(コミンテルン日本支部)もコアの党員は数十人で、政治的には何の力もなかったが、マルクス主義は社会科学の世界では大きな影響力があった。著者も一高の教授として唯物史観を教え、終戦直後まで共産主義に共感をもっていたという。その共感を失った原因は、マルクス主義への疑問ではなかった。
続きは9月16日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)
もう社会主義の時代は終わったとみんな思っているが、忘れたころにまた「脱成長のコミュニズム」などという精神的幼児が出てくるのをみると、なぜ社会主義があれほどの影響力をもったのかを考え直すことには意味がある。
林健太郎は晩年に東大総長や自民党の参議院議員などをつとめて保守派だと思われているが、1913年生まれだから、若いときは(多くのインテリと同じく)左翼だった。社会主義が労働運動から生まれたのはヨーロッパの話で、戦前の日本には労働運動と呼べるものはほとんどなかった。その支持者の多くは著者のようなインテリだった。
日本共産党(コミンテルン日本支部)もコアの党員は数十人で、政治的には何の力もなかったが、マルクス主義は社会科学の世界では大きな影響力があった。著者も一高の教授として唯物史観を教え、終戦直後まで共産主義に共感をもっていたという。その共感を失った原因は、マルクス主義への疑問ではなかった。
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