自民党総裁選で解雇規制が争点になっている。小泉進次郎氏のいう「解雇規制の見直し」は中身が曖昧だが、河野太郎氏は「解雇の金銭救済制度」と明言した。これは今まで20年以上にわたって議論されて行き詰まった問題であり、今ごろ総裁選の争点になったのは意外だった。
行き詰まった原因は複雑だが、本書によると2003年の労働基準法改正が挫折の始まりらしい。この時期には不良債権の清算にともなう倒産や失業が大量発生し、労働者派遣法の改正など非正社員の規制緩和で失業者を救済する改革が行なわれた。
それに対応して正社員の解雇についても労働基準法に立法化することが提案されたが、その最大の障害は「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして無効とする」という解雇権濫用法理が最高裁の判例で決まっており、それに対応する金銭解決の制度がないことだった。
これが労働政策審議会で議論され、①解雇権濫用法理を立法化すると同時に、②解雇無効となった場合の金銭解決制度を整備する予定だった。ところが①は労働基準法18条の2として2003年に立法化されたが、②の金銭解決の条件をめぐって労使が合意できず、立法化が見送られた。
2007年に労働契約法という新たな法律で契約ベースの労使関係を構築することになったが、このときも金銭解決の条件で労使が合意できず、労基法18条の2が労働契約法16条に移されただけに終わった。
本来は①不当解雇の範囲を明確化した上で②金銭で救済するはずだったのが、②なしで①だけが立法化された結果、当初の意図とは逆に、救済制度なしで解雇規制が強化されてしまった。その後も厚労省は何度も検討会や研究会を重ねたが、②はいまだに実現していない。そこには大きな見落としがあったのではないか。
ところが日本にはそういう意味での解雇規制は、労働契約法16条しかない。それも合理的な理由のない解雇は権利の濫用だという漠然とした規定で、「合理的な理由」の定義はどこにも書いてない。その定義も1979年の整理解雇の4要件の判例で決まっている。これは
日本でも外資系企業では、解雇するとき「訴訟を起こさない」という誓約書をとって退職金を加算するのが普通である。この場合の解雇が正当か不当かは問題にならず、労使が合意すれば依願退職として処理される。
ところが日本では解雇自由の原則が明記されていないため、まず訴訟を起こして不当解雇だと裁判所が認めないと、金銭解決もできない。このため経営側は裁判なしで退職金加算で解決す解雇ルールを提案したが、労働側が「不当解雇が乱発される」と恐れてルールを認めない。
解雇が正当か不当かというのは無意味な議論で、経営側からみればすべての解雇は正当で、労働側から見ればすべて不当である。そんなことを争うより、金銭で解決すればいいのだ。現実には裁判の和解で4~7ヶ月分の和解金が支払われることが多く、事実上の金銭解決の相場ができている。
これは最初に解雇権濫用法理という判例で解雇権を制限したボタンの掛け違えに原因がある。本書でも経済学者は、金銭解決を裁判の和解に限定するのは狭すぎると批判しているが、労働側は「裁判なしで金で解決すると解雇が乱発される」と警戒し、労働法学者も「正当か不当か」にこだわる。
その結果、中小企業の労働者は訴訟費用が出せないので解雇されても泣き寝入りし、大企業の人事部は訴訟による評判リスクを恐れて解雇せず、社内失業を抱える。金銭で解決できる交渉問題を「正義」の問題としたため、解決が困難になっているのだ。
本書はこの問題を経済学者の立場から整理し、正当か不当かではなく当事者が合意するかどうかを基準にして、金銭補償ルールを提言している。具体的には労働契約法16条を改正して金銭解決のルールを決め、基準となる補償額を法律に明記するのだ。
この補償額の算定がむずかしいが、本書は最大38.6ヶ月の完全補償ルールを提案している。これは裁判の和解額に比べると高いが、大企業の退職金加算としてはおかしくない。その算定はともかく、裁判なしで合意ベースの金銭解決ルールを決めることは重要である。それなしで「解雇規制の見直し」などといっても、また同じ袋小路に入ってしまう。
行き詰まった原因は複雑だが、本書によると2003年の労働基準法改正が挫折の始まりらしい。この時期には不良債権の清算にともなう倒産や失業が大量発生し、労働者派遣法の改正など非正社員の規制緩和で失業者を救済する改革が行なわれた。
それに対応して正社員の解雇についても労働基準法に立法化することが提案されたが、その最大の障害は「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして無効とする」という解雇権濫用法理が最高裁の判例で決まっており、それに対応する金銭解決の制度がないことだった。
これが労働政策審議会で議論され、①解雇権濫用法理を立法化すると同時に、②解雇無効となった場合の金銭解決制度を整備する予定だった。ところが①は労働基準法18条の2として2003年に立法化されたが、②の金銭解決の条件をめぐって労使が合意できず、立法化が見送られた。
2007年に労働契約法という新たな法律で契約ベースの労使関係を構築することになったが、このときも金銭解決の条件で労使が合意できず、労基法18条の2が労働契約法16条に移されただけに終わった。
本来は①不当解雇の範囲を明確化した上で②金銭で救済するはずだったのが、②なしで①だけが立法化された結果、当初の意図とは逆に、救済制度なしで解雇規制が強化されてしまった。その後も厚労省は何度も検討会や研究会を重ねたが、②はいまだに実現していない。そこには大きな見落としがあったのではないか。
裁判で「不当解雇」と認めないと金銭解決できない
そこには大きな見落としがあった。解雇がほぼ無条件に自由なのはアメリカだけで、ヨーロッパでは解雇自由の原則を法律に明記した上で、どういう場合には解雇できないかという条件を書くのが一般的である。これは不当労働行為のような労働者に不利益をもたらす解雇を禁止するなど、かなり細かく決まっていることが多い。ところが日本にはそういう意味での解雇規制は、労働契約法16条しかない。それも合理的な理由のない解雇は権利の濫用だという漠然とした規定で、「合理的な理由」の定義はどこにも書いてない。その定義も1979年の整理解雇の4要件の判例で決まっている。これは
- 人員整理の必要性
- 解雇回避努力義務の履行
- 被解雇者選定の合理性
- 解雇手続きの妥当性
日本でも外資系企業では、解雇するとき「訴訟を起こさない」という誓約書をとって退職金を加算するのが普通である。この場合の解雇が正当か不当かは問題にならず、労使が合意すれば依願退職として処理される。
ところが日本では解雇自由の原則が明記されていないため、まず訴訟を起こして不当解雇だと裁判所が認めないと、金銭解決もできない。このため経営側は裁判なしで退職金加算で解決す解雇ルールを提案したが、労働側が「不当解雇が乱発される」と恐れてルールを認めない。
解雇が正当か不当かというのは無意味な議論で、経営側からみればすべての解雇は正当で、労働側から見ればすべて不当である。そんなことを争うより、金銭で解決すればいいのだ。現実には裁判の和解で4~7ヶ月分の和解金が支払われることが多く、事実上の金銭解決の相場ができている。
裁判なしの解雇ルールが必要だ
しかしこれは裁判(あるいは労働審判)を起こさないと適用されないので、厚労省の検討会でも、次の図のように判決や和解の解決金として初めて金銭が出てくる。これは最初に解雇権濫用法理という判例で解雇権を制限したボタンの掛け違えに原因がある。本書でも経済学者は、金銭解決を裁判の和解に限定するのは狭すぎると批判しているが、労働側は「裁判なしで金で解決すると解雇が乱発される」と警戒し、労働法学者も「正当か不当か」にこだわる。
その結果、中小企業の労働者は訴訟費用が出せないので解雇されても泣き寝入りし、大企業の人事部は訴訟による評判リスクを恐れて解雇せず、社内失業を抱える。金銭で解決できる交渉問題を「正義」の問題としたため、解決が困難になっているのだ。
本書はこの問題を経済学者の立場から整理し、正当か不当かではなく当事者が合意するかどうかを基準にして、金銭補償ルールを提言している。具体的には労働契約法16条を改正して金銭解決のルールを決め、基準となる補償額を法律に明記するのだ。
この補償額の算定がむずかしいが、本書は最大38.6ヶ月の完全補償ルールを提案している。これは裁判の和解額に比べると高いが、大企業の退職金加算としてはおかしくない。その算定はともかく、裁判なしで合意ベースの金銭解決ルールを決めることは重要である。それなしで「解雇規制の見直し」などといっても、また同じ袋小路に入ってしまう。