自民党総裁選では、石破茂氏と河野太郎氏が「選択的夫婦別姓を容認する」と明言した。小林鷹之氏と高市早苗氏(まだ出馬表明していない)は夫婦別姓反対派なので、総裁選の争点になるだろう。ここで歴史のおさらいをしておこう。
小林氏も高市氏も知っているように、武士の伝統は夫婦別姓である。これは公文書もたくさん残っており、疑問の余地はない。源頼朝の妻は北条政子であり、源政子と名乗ったことは一度もない。
百姓は苗字を名乗れなかった。宗門人別改帳には、世帯主は「杢兵衛」とだけ書かれている。圧倒的多数の百姓にとっては、夫婦同姓も別姓も伝統ではなかったのだ。
ただ寺の過去帳には苗字が書かれている例もあり、一族を非公式の字(あざな)あるいは屋号で呼んでいた百姓は少なくなかったようだ。このため明治政府が1876年に太政官指令で妻は別姓と定めても、ほとんど守られなかった。
正式に「夫婦同氏」と決まったのは1898年の民法だが、これはドイツのファミリーネームをまねたもので、長男だけが相続権をもつ男尊女卑の制度だった。「夫婦同苗字」の強制は、家父長主義の「家社会」の遺物なのだ。
続きは9月2日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)
小林氏も高市氏も知っているように、武士の伝統は夫婦別姓である。これは公文書もたくさん残っており、疑問の余地はない。源頼朝の妻は北条政子であり、源政子と名乗ったことは一度もない。
百姓は苗字を名乗れなかった。宗門人別改帳には、世帯主は「杢兵衛」とだけ書かれている。圧倒的多数の百姓にとっては、夫婦同姓も別姓も伝統ではなかったのだ。
ただ寺の過去帳には苗字が書かれている例もあり、一族を非公式の字(あざな)あるいは屋号で呼んでいた百姓は少なくなかったようだ。このため明治政府が1876年に太政官指令で妻は別姓と定めても、ほとんど守られなかった。
正式に「夫婦同氏」と決まったのは1898年の民法だが、これはドイツのファミリーネームをまねたもので、長男だけが相続権をもつ男尊女卑の制度だった。「夫婦同苗字」の強制は、家父長主義の「家社会」の遺物なのだ。
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