高市早苗氏が、また選択的夫婦別姓に反対している。最近はこれに賛同する人も少なくなったが、まだ誤解している人もいるので、歴史的事実を確認しておく。

黒人侍の騒動でもわかったように、姓(家名)のない弥助が侍(上級武士)だったという研究者はほとんどいない。家名は武士の特権であり、家のために死ぬのが武士だったからだ。夫婦別姓は中国の宗族(父系親族集団)の伝統だが、日本にはそういう親族集団がないので根づかなかった。

日本の苗字は姓とは別のもので、「家」は地縁集団だったので苗字は地名が多かった。血縁は大した問題ではなく、長男が無能なときは婿養子をとるのが当たり前だった。武士は家名を相続したが、女には苗字がなかった。北条政子や日野富子も、当時は単に「政子」や「富子」と呼ばれた。

百姓には家名は必要ないので、名前で呼んでいた。機能的には個人を同定するには名前があれば十分で、同名でまぎらわしいときは「屋号」で区別した。夫婦同姓が日本の伝統などというのは無知蒙昧な話で、これは明治時代につくられた民法の制度である。

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