宦官 改版 側近政治の構造 (中公新書)
読売新聞の提言で、また「男系の皇統」が話題になっているが、これは明治時代に井上毅が皇室典範で決めたルールであって「古来の伝統」ではない。『日本書紀』は、継体天皇を垂仁天皇の女系の子孫とし、それ以前の天皇は男女の別も書いていない。継体以降は男系が続いたが、それは側室の産んだ子の中から男子を選んだだけで、男系を定めた文書はない。

日本に男系の皇統がなかったことは、宦官がいなかったことでも明らかだ。中国では男系男子の皇統が厳格に決められ、歴史上も例外は一人(則天武后)だけだ。後宮は男子禁制で、皇帝や側室の世話をする宦官は去勢し、皇帝が側室とセックスした日付を記録して産まれた子の血統を確認した。その子が皇帝の子であることを証明し、帝位を簒奪しようとする者が「この子は俺の子だ」と主張できないようにしたのだ。

しかし日本の御所には皇族以外の男も自由に出入りでき、側室の産んだ子は誰の子かわからなかった。天皇には権力がなかったので、その血統は問題ではなかったのだ。ただ家が絶えると困るので、天皇以外の父親の子でもよかった。島田裕巳氏も指摘するように、歴史上は天皇家以外の「不義の子」ではないかと噂された天皇もいる。第57代の陽成天皇である。

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陽成天皇

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