日本で「新自由主義」という言葉が使われるようになったのは、小泉内閣のころだろう。小泉純一郎氏は2001年4月に「自民党をぶっ壊す」というスローガンを掲げて3度目の挑戦で総裁に当選した。
それは本来は「田中派(経世会)をぶっ壊す」という意味だった。田中派の支配する郵便貯金の資金が大蔵省の資金運用部に預託され、その資金が財政投融資計画として特殊法人などに低利で融資され、不透明な「第二の予算」として田中派の貯金箱になっていた。これが財政をゆがめているので郵政を民営化すべきだ、というのが小泉氏の発想だった。
しかし1990年代に大蔵省は財投の赤字を防ぐために資金運用部を通さない自主運用を増やし、資金運用部は2001年4月に廃止された。小泉首相の誕生したときは、彼のぶっ壊そうとした財投はすでになく、郵政民営化は無意味だったのだ。
小泉首相の最大の功績は不良債権の清算だった。彼が首相に就任したときは、1998年から始まった金融危機が続いていた。普通は不況のときは財政支出を増やすが、小泉氏は極端な緊縮財政をとった。次の図のように、2001年からの小泉内閣で財政赤字は大きく減ったのだ。
日本の財政赤字と実質成長率(出所:IMF)
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それは本来は「田中派(経世会)をぶっ壊す」という意味だった。田中派の支配する郵便貯金の資金が大蔵省の資金運用部に預託され、その資金が財政投融資計画として特殊法人などに低利で融資され、不透明な「第二の予算」として田中派の貯金箱になっていた。これが財政をゆがめているので郵政を民営化すべきだ、というのが小泉氏の発想だった。
しかし1990年代に大蔵省は財投の赤字を防ぐために資金運用部を通さない自主運用を増やし、資金運用部は2001年4月に廃止された。小泉首相の誕生したときは、彼のぶっ壊そうとした財投はすでになく、郵政民営化は無意味だったのだ。
小泉首相の最大の功績は不良債権の清算だった。彼が首相に就任したときは、1998年から始まった金融危機が続いていた。普通は不況のときは財政支出を増やすが、小泉氏は極端な緊縮財政をとった。次の図のように、2001年からの小泉内閣で財政赤字は大きく減ったのだ。
日本の財政赤字と実質成長率(出所:IMF)
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