新自由主義の終焉
新自由主義(neo-liberalism)という言葉には悪意がこめられている。訳本の「半世紀に及ぶ”破壊的社会実験”の末路」という副題は原著にはないが、こういう通俗的な誤解は多い。英語でもイメージが悪いのは同じである。

それはしばしば「保守主義」とも呼ばれるが、本書のテーマとする20世紀後半のアメリカの新自由主義は市場経済と自由な経済活動を拡大する思想で、およそ保守主義とは対極にある。それを自由主義(liberalism)と呼べないのは、1930年代にルーズベルトが「リベラル」という言葉を「大きな政府」という意味に変えてしまったからだ。

このため英語では新自由主義とかリバタリアンとか変な造語で呼ぶが、日本語では単に自由主義と呼べばいい。それは新しい思想ではなく、18世紀のヒュームやバークやスミスの古典的自由主義と本質的には同じ思想である。

20世紀には、自由主義は共産主義の対義語だった。今では実感がないだろうが、資本主義と社会主義のどっちがすぐれているかというイデオロギー闘争が、冷戦の最大のテーマだった。ニューディールは大恐慌による経済危機を資本家と労働者の和解で解決するため、政府が市場経済に介入する社会民主主義だったが、1960年代まで続いた。

新自由主義が70年代に登場したのは、冷戦が資本主義の勝利に終わることがはっきりしたためだ。かつてアメリカを抜くかもしれないと恐れられたソ連のGDPはアメリカの2割程度に落ち、資本主義の優位性は明確になった。もう労働者と和解する必要はなくなったのだ。

ニューディールから新自由主義へ

1980年にレーガン大統領が選ばれた背景には、ニューディールの巻き戻しがあった。1970年代からカーター政権で電気通信、航空、運送業などの規制緩和が始まっていたが、レーガンはこれを押し進め、労働組合と全面的に対決した。その象徴的な事件が、1981年に航空管制官のストライキに対して譲歩せず、1万人以上を解雇した事件だった。

所得税の最高税率は70%から28%に下げられ、所得格差は拡大した。大幅な減税で財政赤字は拡大し、貿易赤字との「双子の赤字」でアメリカ経済は低迷したが、レーガンはその原因は日本の不公正貿易だと攻撃し、円高誘導や日米構造協議でジャパン・バッシングをおこなった。

レーガンはソ連を「悪の帝国」と呼んで大規模な軍拡を行ない、経済が行き詰まっていたソ連は軍備増強の圧力で経済が崩壊した。そして1989年にベルリンの壁が崩壊し、レーガンのタカ派戦略は、それまでのデタント(緊張緩和)戦略の実現できなかった冷戦の終了を実現した。

冷戦終了の最大の恩恵をこうむったのは、1990年代のクリントン大統領だった。彼は若いころ反戦運動にも参加したヒッピーだったが、シリコンバレーの左翼も新自由主義に合流し、インターネットの発展とあいまってアメリカは世界最大の大国に返り咲いた。

その後の政治も、多かれ少なかれクリントン政権でできた新自由主義路線の延長だったが、2008年以降の世界金融危機の中で、新自由主義は大きな見直しを迫られた。オバマ政権はルーズベルト的な伝統的リベラルへの回帰だったが、トランプ政権は新自由主義を否定する保護主義だった。

バイデン政権も大きな政府への回帰だが、またトランプ政権になるとすると、新自由主義の伝統は終わり、アメリカ民主主義は未知の領域に入る。