家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)
今の閉塞感は幕末に似ている。日本は「長い江戸時代」の終わりにさしかかっているので、それにどう対応すべきかも幕末に学べるかもしれない。

江戸時代に250年も平和が続いたのは、世界史上でも珍しい偉業である。それはアジアの東端の島国という地政学的な有利性もあるが、徳川家康の巧みな制度設計も大きかった。全国を300の大名家に分断し、譜代の禄高は小さく、外様は大きくして勢力を均衡させ、大名の家族を江戸に人質に取り、参勤交代で財政を消耗させた。

このような制度は、18世紀に崩れてくる。跡継ぎのない大名を取りつぶす「改易」がほとんどなくなり、有力な外様大名が経済力をつけるようになった。薩摩藩は跡継ぎがなかったが、養子を取って家の継続が認められた。大名の家族を江戸に人質に取る制度も緩和されたため、家族が帰った長州藩が反乱を起こした。

Tenpo-tsuho-chokaku経済的には年貢を米による物納とし、現物経済を原則としたが、1835年につくった天保通宝の鋳造を各藩に許したことが失敗だった。これによって大名が貨幣を密造してインフレになり、贋金も流通して経済が混乱した。長州藩や薩摩藩はこの密造通貨で経済力をつけた。

しかし幕藩体制を崩壊させた最大の原因は、その長すぎた平和だった。

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