ミシェル・フーコー講義集成〈8〉生政治の誕生 (コレージュ・ド・フランス講義1978-79)
ミシェル・フーコーが西洋の権力の原型と考えたのは、カトリック教会のような司牧的権力だった。これは「司牧」としての聖職者が迷える羊のような民衆を導く権力だが、特定の社会の規範を根拠とするので、他の社会との交流が増えると拘束力がが弱まる。

特に西洋ではルター派がカトリック教会への服従を拒否し、自由な個人が信仰と法にもとづいて行動した。これは抽象的な権力と普遍的なルールで民衆を管理する技術であり、これをフーコーは統治性と呼んだ。

司牧的権力には臣民(subject)として隷属していた人々が、近代国家では自立した主体(subject)となり、統治の効率は飛躍的に高まった。中世には君主の命令によって<臣民>がいやいや行なっていた戦争が、戦意を内面化した<主体>によって進んで行なわれ、国民は武装歩兵として自発的に戦争に参加し、国家のために命を捧げたのだ。

このように近代国家は戦争にそなえる死の政治から始まったが、戦争が近代化するにつれて、軍事力の中核は兵士から補給に移り、軍事的な規律・訓練よりも富を増やす市場メカニズムが重要になった。このため国家は後景に退いて「夜警国家」となり、人々の生活を保障する生政治が有効になった。これが社会保障の始まりである。

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