来週から「小さな政府と自由主義」というテーマでアゴラ経済塾を始めるが、小さな政府は異端の思想である。それは経済学者には常識だが、それ以外の人には「新自由主義」とか「市場原理主義」などといってきらわれる。
もちろん市場経済で解決できない問題も多いが、解決できる問題はなるべく政府が介入しないで解決しようというのがフリードマンの自由主義(liberalism)である。本書が出たのは1962年だが、そこに掲げられた政策がいまだにほとんど実現していない。
彼が第2章の最後で「政府がやる理由のない制度」としてあげているのは14項目だが、このうち今も残っている制度を○、廃止された制度を×、修正された制度を△とすると、
△農業の買い取り保証
○輸入関税・輸出制限
△産出規制(生産割り当て)
△家賃統制・賃金統制
△法定の最低賃金や法定金利
○産業規制・銀行規制
○ラジオ・テレビ規制
○社会保障制度、特に老齢年金
○事業・職業免許制度
○公営住宅
×平時の徴兵制
○国立公園
△民営の郵便事業の禁止
○公営の有料道路
このうち完全に実現したのは徴兵制の廃止だけだった。1勝8敗5引き分けである。その他に彼が本書で提案したのは次のような改革だが、このうち実現したものを○、しなかったものを×とすると、
○変動為替相場制度
×マネーサプライ増加率の固定
△教育バウチャー
△負の所得税
変動為替相場は大成功だったが、フリードマンの学説のコアだったk%ルール(通貨供給ルール)は実現しなかった。こっちは1勝1敗2引き分けだから、合計2勝9敗7引き分けだ。どうして彼の提案は実現しなかったのだろうか?
たとえば農業補助金によって消費者は二重に損をする。価格が市場で決まる水準より高い上に、その補助金のために税金が使われるからだ。農家の所得を増やすことが目的なら、価格支持や輸入制限をやめて所得補償で行なうほうが効率的だが、農家は競争をいやがる。消費者の利益は薄く広いが、農家は集団行動が得意で、選挙区で特定の候補を応援するので、その人数以上に政治力が大きい。
最低賃金法を支持する大勢の善意の人々は、ある一定水準以下の賃金を違法にすれば貧困は減らせると信じているが、事実はまったく逆で、最低賃金法は貧困を増やす。すでに職についている人の賃金は上がるが、失業している人は賃金をまったくもらえないのだ。
公的年金の廃止は、本書でもっとも大きな論議を呼んだ提言である。豊かな人から貧しい人に所得を再分配する必要はフリードマンも認めているが、年金はそういう機能を果たしていない。所得に関係なく年齢を基準にして再分配するため、結果的には貧しい若者から貯金の多い高齢者に逆分配しているのだ。
しかも現在の高齢者の年金は現在の現役世代が負担し、その負担は将来世代が負担する賦課方式(ネズミ講)なので、日本のように急速に高齢化が進む国では、大きな世代間格差をもたらす。
フリードマンは、免許と資格認定を区別する。たとえば弁護士の資格を国家試験で認定し、合格者はそれを表示できるが、無資格の弁護士を代理人にすることも自由にすればいい。弁護士なしで本人訴訟することができるのに、なぜ代理人に免許がないと違法なのか。まったく論理的に成り立たない規制である。
ただ医師だけは「自分の意志で無免許の医師を選んだのだから死んでもしょうがない」といえるのか。無資格診療のリスクは、損害賠償などのルールを厳格にすることで、ある程度カバーできる。むしろ医療費が高いために、アメリカでは貧困層が高度医療から締め出されており、貧困層の平均余命は富裕層より統計的に有意に短い。
教育バウチャーは「教育格差を拡大する」などと批判されるが、フリードマンの主眼は、公立学校の荒廃を解決することだった。貧しい地域で生まれた子供は学力があっても近くの(学費の安い)公立学校へ行かざるをえないので、貧しい地域の学校はますます貧困化する。これを防ぐために私立学校の学費も公立と同じになるように定額のバウチャー(金券)を出し、親が学校を選べるようにしようというものだ。
負の所得税は、累進課税もやめて所得税率を一律にし、所得分配を負の所得税に一本化するものだ。年金のように所得に関係なく年齢によって再分配する制度は不公正であり、農業補助金のように職業で再分配するのも、地方交付税のように地域で再分配するのもおかしい。貧しい人の生活を支えるためには、社会保障はすべて所得を基準にして税でやればよいという論理は明快だが、いまだに実施した国はない。
もちろん市場経済で解決できない問題も多いが、解決できる問題はなるべく政府が介入しないで解決しようというのがフリードマンの自由主義(liberalism)である。本書が出たのは1962年だが、そこに掲げられた政策がいまだにほとんど実現していない。
彼が第2章の最後で「政府がやる理由のない制度」としてあげているのは14項目だが、このうち今も残っている制度を○、廃止された制度を×、修正された制度を△とすると、
△農業の買い取り保証
○輸入関税・輸出制限
△産出規制(生産割り当て)
△家賃統制・賃金統制
△法定の最低賃金や法定金利
○産業規制・銀行規制
○ラジオ・テレビ規制
○社会保障制度、特に老齢年金
○事業・職業免許制度
○公営住宅
×平時の徴兵制
○国立公園
△民営の郵便事業の禁止
○公営の有料道路
このうち完全に実現したのは徴兵制の廃止だけだった。1勝8敗5引き分けである。その他に彼が本書で提案したのは次のような改革だが、このうち実現したものを○、しなかったものを×とすると、
○変動為替相場制度
×マネーサプライ増加率の固定
△教育バウチャー
△負の所得税
変動為替相場は大成功だったが、フリードマンの学説のコアだったk%ルール(通貨供給ルール)は実現しなかった。こっちは1勝1敗2引き分けだから、合計2勝9敗7引き分けだ。どうして彼の提案は実現しなかったのだろうか?
正しすぎて実現しない政策提言
それは彼の提案が間違っていたからではなく、あまりにも正しかったからだ。彼の提言の多くは競争促進だから、それは社会全体からみると正しいが、その当事者(多くの場合供給者)からみると競争は好ましくない。たとえば農業補助金によって消費者は二重に損をする。価格が市場で決まる水準より高い上に、その補助金のために税金が使われるからだ。農家の所得を増やすことが目的なら、価格支持や輸入制限をやめて所得補償で行なうほうが効率的だが、農家は競争をいやがる。消費者の利益は薄く広いが、農家は集団行動が得意で、選挙区で特定の候補を応援するので、その人数以上に政治力が大きい。
最低賃金法を支持する大勢の善意の人々は、ある一定水準以下の賃金を違法にすれば貧困は減らせると信じているが、事実はまったく逆で、最低賃金法は貧困を増やす。すでに職についている人の賃金は上がるが、失業している人は賃金をまったくもらえないのだ。
公的年金の廃止は、本書でもっとも大きな論議を呼んだ提言である。豊かな人から貧しい人に所得を再分配する必要はフリードマンも認めているが、年金はそういう機能を果たしていない。所得に関係なく年齢を基準にして再分配するため、結果的には貧しい若者から貯金の多い高齢者に逆分配しているのだ。
しかも現在の高齢者の年金は現在の現役世代が負担し、その負担は将来世代が負担する賦課方式(ネズミ講)なので、日本のように急速に高齢化が進む国では、大きな世代間格差をもたらす。
フリードマンは、免許と資格認定を区別する。たとえば弁護士の資格を国家試験で認定し、合格者はそれを表示できるが、無資格の弁護士を代理人にすることも自由にすればいい。弁護士なしで本人訴訟することができるのに、なぜ代理人に免許がないと違法なのか。まったく論理的に成り立たない規制である。
ただ医師だけは「自分の意志で無免許の医師を選んだのだから死んでもしょうがない」といえるのか。無資格診療のリスクは、損害賠償などのルールを厳格にすることで、ある程度カバーできる。むしろ医療費が高いために、アメリカでは貧困層が高度医療から締め出されており、貧困層の平均余命は富裕層より統計的に有意に短い。
教育バウチャーは「教育格差を拡大する」などと批判されるが、フリードマンの主眼は、公立学校の荒廃を解決することだった。貧しい地域で生まれた子供は学力があっても近くの(学費の安い)公立学校へ行かざるをえないので、貧しい地域の学校はますます貧困化する。これを防ぐために私立学校の学費も公立と同じになるように定額のバウチャー(金券)を出し、親が学校を選べるようにしようというものだ。
負の所得税は、累進課税もやめて所得税率を一律にし、所得分配を負の所得税に一本化するものだ。年金のように所得に関係なく年齢によって再分配する制度は不公正であり、農業補助金のように職業で再分配するのも、地方交付税のように地域で再分配するのもおかしい。貧しい人の生活を支えるためには、社会保障はすべて所得を基準にして税でやればよいという論理は明快だが、いまだに実施した国はない。