戦後の保守本流は「小さな政府」だった。資源がなく貧しかった日本の税収は少なく、国債は建設国債しか発行できなかった。岸信介は戦時国債の経験から赤字国債を許さず、赤字国債(特例公債)が初めて発行されたのは1965年だった。その後も赤字国債は毎年、国会で特別法を可決しないと発行できず、歳出をいかに削減するかが政権の最重要事項だった。
自民党の右派は均衡財政主義で、行政改革が政権のコアだった。中曽根政権の国鉄・電電民営化のあと、小沢一郎氏が首相官邸への機能集中や小選挙区制などの改革を実施し、英米型の新自由主義を継承する予定だった。彼の『日本改造計画』の序文には、グランドキャニオンの体験がこう書かれていた。
国立公園の観光地で、多くの人々が訪れるにもかかわらず、転落を防ぐ柵が見当たらないのである。もし日本の観光地がこのような状態で、事故が起きたとしたら、どうなるだろうか。おそらく、その観光地の管理責任者は、新聞やテレビで轟々たる非難を浴びるだろう。[中略]これに対して、アメリカでは、自分の安全は自分の責任で守っているわけである。
鮮烈な「強い個人」による小さな政府の宣言だった。私を含めて多くの人が「これで日本は変わる」と期待したのだが、それは幻に終わった。その一つの原因は小沢氏の独善的な政治手法にあったが、もっと根本的な問題は日本人の国家意識にあると思う。
「強い指導者」をきらう日本人
日本人は「強い指導者」がきらいだ。縄文時代には定住したのに農業はおこなわず、戦争も国家もない社会が1万年ぐらい続いた。中国から輸入した君主制が確立したのは7世紀だが、天皇と呼ばれた君主は弱く、臣下の決定を実行する「みこし」のようなものだった。この傾向は中世になっても続き、全国を支配する君主はあらわれなかった。江戸時代には、全国を300の「家」に分断して統治する手法がとられた。それを急速に中央集権化したのが明治以降の近代化だが、ここでも天皇が形骸化していたため、藩閥政府と軍がばらばらに意思決定し、最後は軍の暴走で自滅してしまった。
小沢氏は、日本の歴史の中では例外だった後醍醐天皇や織田信長のような「強い君主」だったが、その強い指導者の手法がきらわれ、政局が混乱して、1990年代は「失われた10年」になってしまった。
世界的には新自由主義の洗礼を受け、保守党と社民党が小さな政府vs大きな政府という軸で対立するようになったが、日本にはそういう対立軸ができず、与党も野党も大きな政府派ばかりになってしまった。
そのうち超高齢化の進展で高齢者vs現役世代という対立ができたが、かつての対立とは違って、ここでは高齢者が圧倒的多数なので、現役世代の側に立つ政党がほとんどない。財政状況も、2000年代から変わった。ゼロ金利が続き、日銀が量的緩和をしてもインフレにならない。
このため保守本流の課題だった「財政再建」は、それほど深刻な問題ではなくなった。むしろ安倍派を中心とする積極財政が、保守のスローガンになり、野党がそれを批判する逆転した状況になった。
この状況で小さな政府を主張するのは、政治的にはかなり冒険である。維新の「老人医療費3割負担」の主張には、与野党ともにまったく反応しない。ここから状況がどう変わるかは、自民党の若い世代の動き次第だろう。
4月からのアゴラ経済塾では、そういう問題をみなさんと考えたい。