ハイデガーの哲学 『存在と時間』から後期の思索まで (講談社現代新書)
ハイデガーは20世紀最大の哲学者だが、彼にはナチスの暗い影がつきまとう。ドイツではナチスにかかわるものはすべて禁止なので、たとえばマルクス・ガブリエルはハイデガーを「筋金入りの反ユダヤ主義信者」、「完璧なまでのナチのイデオローグ」とこき下ろし、読むのをやめろという。

そういう偏見をさらに強化したのが、死後に発見された黒いノートである。2014年から刊行され始めたこの34冊に及ぶノートは、ハイデガーが備忘録として書いたもので、公開を前提としていなかったが、そこには一見して反ユダヤ主義が露骨に表現されていた。1939年のノートで、ハイデガーはそのころ始まった第2次世界大戦についてこう書いている。

端的に無目的性をめぐって戦われ、したがってせいぜい「戦い」の戯画でしかありえないこの「戦い」において「勝利する」のは、何者にも拘束されず、すべてを利用可能なものにする「地盤喪失性(ユダヤ性)」である。

これはユダヤ人が白人同士を戦わせて世界を征服しようとしているという陰謀論と読まれ、それまでハイデガーを擁護していた人も、ハイデガーが反ユダヤ主義だったことを認めた。

そうだろうか。そこにはもっと深い思索が含まれていたのではないか。ニーチェやハイデガーのような「黒い哲学」を切り捨てたために、戦後のドイツ哲学はガブリエルのような退屈な優等生ばかりになったのではないか。

ユダヤ=キリスト教の「主体性の形而上学」

ドイツにはカントからハーバーマスに至る「表の哲学」と、ニーチェからハイデガーに至る「裏の哲学」がある。表のほうは核軍縮や環境保護などマスコミ受けする正義を語るが、退屈なので戦後のドイツ哲学は誰も読まない。

裏のほうはナチスを生んだということで抹消されたが、人間の黒い部分を描いている。こういうニヒリズムは「新ニーチェ主義」とも呼ばれるフランスのポストモダンに受け継がれ、今も人気がある。

ハイデガーが戦前から批判していたのは、ユダヤ人ではなくユダヤ=キリスト教の形而上学である。地盤喪失性というのも、キリスト教が神の概念で人々を民族(フォルク)から切り離したという意味で、その根源にはユダヤ教があった。

これはユダヤ人を「アーリア人」と対立させるヒトラーの反ユダヤ主義とはまったく違うもので、人種の概念ではない。それはユダヤ人が唯一神教という形で創造した「主体性の形而上学」であり、すべてのキリスト教徒が汚染されているイデオロギーなのだ。彼は1942年のノートでこう書く。

形而上学的な意味において本質的に「ユダヤ的なもの」が、初めてユダヤ的なものと競うとき、歴史における自己破壊の窮極点に到達している。「ユダヤ的なもの」が至るところで支配を完全に我がものにし、その結果「ユダヤ的なもの」との戦いさえもユダヤ的なものに従属するに至っている。

ここで彼が「ユダヤ的なもの」という誤解をまねく表現で語っているのは、ニーチェが「ヨーロッパのニヒリズム」として批判した形而上学である。それは人々を故郷や伝統から切り離し、神という作為的な観念を唯一の主体とするユダヤ=キリスト教のイデオロギーである。

それを典型的に体現しているのがナチズムだった。それは天上の神ではなくヒトラーという目に見える主体の命令で全資源を動員する、ユダヤ的な形而上学の最悪の体現だった。彼らは国際ユダヤ資本と戦うと称していたが、第2次大戦はユダヤ的なものがユダヤ的なものと戦う「自己破壊の窮極点」だった。