今週からアゴラ経済塾「あなたの年金・医療はどうなる」がスタートするが、その練習問題として、厚生労働省が今の社会保障制度をどうみているかを紹介しておこう。といっても厚生労働白書のややこしい記述を読む必要はない。本書は自他ともに認める厚労省の御用学者が、その論理を明快に書いたものだ。
御用学者というのは悪口ではない。権丈善一氏は経済学界にはほとんど賛同者がいないが、厚労省やマスコミにはファンがいる。彼は多くの審議会で委員をしており、厚労省の政策を決定する大きな権限をもっている。岸田政権の少子化対策も、彼のアイディアである。その論理は、厚労省の年金マンガに要約されている。
年金問題の最大の争点は積立方式か賦課方式かだが、権丈氏の主張は単純である。「公的年金は、賦課方式でしかその目的を達成することはできない」。本書の主張はこれだけで、あとは今の制度の解説と(多数派の)経済学者の悪口が並んでいるだけだ。
権丈氏もその事実は認めるが、公的年金は保険だから金銭の損得で判断してはいけないという。公的保険の目的は私的扶助では暮らせない人の生活を支え、みんなが安心して暮らせる社会的扶養であり、個人がもうけることではない。社会保障は道路や公園のような公共財だから、「私が道路に払った税金より走れる距離が少ない」と怒る人がいないように、個人の損得で考えてはいけないのだという。
しかし世代と世代の関係は「お互い様」ではない。世代会計でみると、今のゼロ歳児の生涯所得(受益-負担)が今の60代より1億円以上も少なくなる。これは価値観の問題であり、国民が選挙で決めるべきことだ。しかし賦課方式に転換したとき、その当事者である今の現役世代は同意していない(まだ生まれてもいなかった)。
最大の問題は二重の負担と呼ばれる問題が大きいことだ。厚生年金は1942年に積立方式で始まったが、田中角栄が1973年にバラマキ福祉を拡大して賦課方式を導入した。これは「老後の積立を公的に代行する」という考え方から「老後の生活を同世代の負担で支える」という考え方への大転換である。
積立方式に変わると、それまで収めていた賦課方式の年金保険料の他に、自分の年金の積立を始めなければならない。既存の年金受給者にも賦課方式の支払いが必要なので、今の被保険者には二重の負担が発生する。この問題を避ける方法はいろいろ提案されているが、政治的には不可能である。
だから現実には賦課方式を改良するしかないが、積立方式はそのベンチマークになる。世代間格差も、税の部分を除くと積立方式と賦課方式の差である。つまり世代間格差とは積立方式と賦課方式の格差といってもいいのだ。
ベーシックインカム(BI)についても、権丈氏は「金がかかりすぎる」と否定する。確かに毎月10万円を全国民に配布するBIは無理だが、負の所得税(給付つき税額控除)のように、部分的に現在の社会保障を置き換える方法もある。最低所得保障は今の基礎年金を残す最低保障年金などの折衷的な方法もある。
大事なことは、今の巨額の所得逆分配を少しでも減らすことだ。積立方式の年金も政治的には不可能だが、それを基準にすると、現在の賦課方式の年金の歪みの大きさがわかる。 後期高齢者医療のような過剰給付を減らす根拠にもなる。
御用学者というのは悪口ではない。権丈善一氏は経済学界にはほとんど賛同者がいないが、厚労省やマスコミにはファンがいる。彼は多くの審議会で委員をしており、厚労省の政策を決定する大きな権限をもっている。岸田政権の少子化対策も、彼のアイディアである。その論理は、厚労省の年金マンガに要約されている。
年金問題の最大の争点は積立方式か賦課方式かだが、権丈氏の主張は単純である。「公的年金は、賦課方式でしかその目的を達成することはできない」。本書の主張はこれだけで、あとは今の制度の解説と(多数派の)経済学者の悪口が並んでいるだけだ。
世代間格差は問題ではない?
権丈氏は、世の中の善良な市民や経済学者は「公的年金を払った分受け取れる私的年金と混同している」のだというが、そんな経済学者はいない。世代間格差を問題にしている多くの経済学者は、今の賦課方式の年金制度が、超高齢化社会では世代全体として受益と負担の格差を拡大するといっているのだ。権丈氏もその事実は認めるが、公的年金は保険だから金銭の損得で判断してはいけないという。公的保険の目的は私的扶助では暮らせない人の生活を支え、みんなが安心して暮らせる社会的扶養であり、個人がもうけることではない。社会保障は道路や公園のような公共財だから、「私が道路に払った税金より走れる距離が少ない」と怒る人がいないように、個人の損得で考えてはいけないのだという。
しかし世代と世代の関係は「お互い様」ではない。世代会計でみると、今のゼロ歳児の生涯所得(受益-負担)が今の60代より1億円以上も少なくなる。これは価値観の問題であり、国民が選挙で決めるべきことだ。しかし賦課方式に転換したとき、その当事者である今の現役世代は同意していない(まだ生まれてもいなかった)。
積立方式はベンチマーク
積立方式に問題があることは事実だ。これは本質的に個人の貯蓄と同じだから、本来は公的年金にする必要もない。制度としてはシンプルだが、成長率が低下したりインフレになったりすると損する。今の日本のように貯蓄過剰で金利が成長率より低いときは、賦課方式で現役世代の過剰な貯蓄を年金受給者に回したほうがよいという論理も成り立つ。最大の問題は二重の負担と呼ばれる問題が大きいことだ。厚生年金は1942年に積立方式で始まったが、田中角栄が1973年にバラマキ福祉を拡大して賦課方式を導入した。これは「老後の積立を公的に代行する」という考え方から「老後の生活を同世代の負担で支える」という考え方への大転換である。
積立方式に変わると、それまで収めていた賦課方式の年金保険料の他に、自分の年金の積立を始めなければならない。既存の年金受給者にも賦課方式の支払いが必要なので、今の被保険者には二重の負担が発生する。この問題を避ける方法はいろいろ提案されているが、政治的には不可能である。
だから現実には賦課方式を改良するしかないが、積立方式はそのベンチマークになる。世代間格差も、税の部分を除くと積立方式と賦課方式の差である。つまり世代間格差とは積立方式と賦課方式の格差といってもいいのだ。
ベーシックインカム(BI)についても、権丈氏は「金がかかりすぎる」と否定する。確かに毎月10万円を全国民に配布するBIは無理だが、負の所得税(給付つき税額控除)のように、部分的に現在の社会保障を置き換える方法もある。最低所得保障は今の基礎年金を残す最低保障年金などの折衷的な方法もある。
大事なことは、今の巨額の所得逆分配を少しでも減らすことだ。積立方式の年金も政治的には不可能だが、それを基準にすると、現在の賦課方式の年金の歪みの大きさがわかる。 後期高齢者医療のような過剰給付を減らす根拠にもなる。