「新しい国民皆保険」構想:制度改革・人的投資による経済再生戦略
社会保障のうち年金については経済学者の研究も多いが、医療については少ない。医療保険がいろいろな制度のパッチワークになっていて、論理がないからだ。特に問題なのは、老人医療の大幅な赤字をサラリーマンが補填する構造が続いていることだ。

次の図のように後期高齢者の給付の9割がそれ以外の保険からの「支援金」でまかなわれているだけでなく、市町村国保の赤字(主として前期高齢者)をサラリーマンの組合健保・協会けんぽが埋めている。結果的に、組合健保の保険料収入の半分が「前期調整額」と「後期支援金」に取られ、組合員への給付には半分しか使われていない。

2022-11-04 (1)
厚労省の資料

健康保険は、もともと19世紀にビスマルクがギルドの相互扶助の制度を支援する形で始めた社会政策で、本来インサイダーの従業員だけのものだった。これを国民すべてに適用しようとすると、富裕層に給付よりはるかに大きな負担が集中するので、アメリカのように皆保険は実現できない。

ところが日本の国保は、岸信介が国民皆保険の理念を打ち出し、未納や免除による赤字を市町村が埋め、その赤字を国が補填する場当たり的な財政運営を続けた。これは相互扶助ではなく、現役世代から老人への一方的な贈与である。それが破綻するきっかけになったのが、1973年の老人医療無料化と1983年の老人保健制度だった。

消費税の制約で社会保険料が上がる

この背景には、財界からの政治的圧力があった。国保の赤字は税で補填していたが、老人医療の無料化による赤字の増加が、「増税なき財政再建」を掲げる第二臨調で槍玉に上げられた。このため老人医療制度を創設し、その給付の7割を国保や健保からの拠出金でまかなうしくみができたのだ。

これは1985年の基礎年金と同じで、要するに税金の赤字を減らすために特別会計の中で取りやすい所から取るというルールに変更したのだ。取りやすいのは捕捉率100%のサラリーマンであり、彼らは高所得の恵まれた階層だというイメージがあったのだろう。

しかしそのアドホックな再分配が健保組合の批判を受けて不払い運動が起こり、2002年に老人医療が1割負担になり、2008年に後期高齢者医療制度ができた。このとき国保の赤字も健保からの拠出金で埋めることになった。このため図のように国保は健保から拠出金3.7兆円を受ける一方で、後期高齢者に1.6兆円の支援金を払う奇妙な構造になっている。

こういう変な制度ができた原因は、増税できないという制約だった。特に消費税は橋本内閣で大事件になってから増税が封印され、特別会計の中でやりくりすることが常態になった。その中で健保の黒字を老人医療に流用する構造が後期高齢者医療制度として制度化され、自公政権はこれ老人のを既得権として守った。

この構造がよくないのは、本来の保険者である健保組合が支援金を出す先の後期高齢者医療を監視できず、その給付金を減らすこともできない。かといって市町村も監視していない無責任体制になっていることだ。

だから改革の決め手は、後期高齢者医療制度を廃止することである。最終的には加入者の負担できないコストはすべて税(目的税を創設してもいい)で負担し、それを都道府県が監視すべきだ。医療保険を税で負担する方式は、北欧やフランスでもとられている。すくなくとも今の日本のように誰も赤字をチェックできない状況よりましだろう。