今度の補正予算では、経産省は半導体や生成AIの開発に2兆円を出資する予定だ。その中心は北海道につくるラピダスの試作ラインである。半導体はかつて日本の産業政策のサクセスストーリーだったが、90年代以降は失敗の連続だった。政府の補助金は「死の接吻」だというフリードマンの言葉を実証するように、国策プロジェクトはすべて失敗した。

かつて半導体は日本メーカーの得意分野で、1992年には世界の半導体売上高トップ10社のうち、6社が日本メーカーだった。それから30年。貿易統計で電気機器の輸入は輸出を上回り、今やテレビの90%は輸入品である。半導体のトップ10社に日本メーカーは1社もない。なぜこうなったのか。

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半導体の売上げ推移(湯之上隆氏)

この図も示すように、日本の半導体の盛衰は、ほぼDRAMの運命と軌を一にしている。1980年代に日本メーカーが世界を制覇したのもDRAMであり、日米半導体協定の対象もDRAMだった。これはCPUのようにインテルの著作権がなく、微細加工をきわめて品質管理で歩留まりを上げるという日本人の得意分野だった。

しかしこれはコモディタイズしやすいことを意味する。90年代に多くの電機メーカーが参入してDRAMの値崩れが始まったとき、日本メーカーは「レッドオーシャンになったDRAMの時代はもう終わった」というコンサルの話を真に受け、付加価値の高いSoC(システム半導体)や液晶に方針転換した。それが失敗だった。

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