また消費税が政局の焦点になってきた。欧州の付加価値税(VAT)はフランスの左翼が創設し、タックスヘイブンで節税する金持ちにも課税できる平等主義の税制だったが、日本ではれいわ新選組のような左翼が反対し、自営業やフリーターが支持する。その原因は消費税の制度設計に欠陥があったからだ。
大型間接税の議論は1970年代に始まる。高度成長期のあり余る財源で田中角栄はバラマキ福祉を始めたが、石油ショックで財政が行き詰まり、財政法で禁じる赤字国債(特例公債)を出すことになった。
財政法では起債のたびに特別法を国会に出すことになっており、もし野党が多数派になって反対すると国債が発行できず、デフォルトになってしまう。そこで大平正芳は安定財源を求めて欧州の付加価値税(VAT)のような一般消費税を公約に掲げたが、政局に利用されて1979年の総選挙で大敗した。
中曽根康弘は国会で「流通の各段階で投網をかけるように総合的に税金をかける考えは持っていない」とVATを否定したが、結局1987年に卸・小売に5%課税する売上税の法案を国会に提出した。これは製造業にはかけない「日本型付加価値税」だったが、国会で野党に「嘘つきだ」と批判を浴びて廃案になった。
そこで大蔵省は田中派の政治力に期待し、消費税ができたのは竹下内閣の1989年4月だった。これは大平内閣の原点に戻ったVATで、税率も3%とスモールスタートだったが、運悪くリクルート事件に遭遇し、満身創痍の竹下首相は法案成立と引き替えに退陣した。このとき国会で税法改正してからわずか4ヶ月で増税したため、制度にいろいろな穴があいたままの見切り発車だった。
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大型間接税の議論は1970年代に始まる。高度成長期のあり余る財源で田中角栄はバラマキ福祉を始めたが、石油ショックで財政が行き詰まり、財政法で禁じる赤字国債(特例公債)を出すことになった。
財政法では起債のたびに特別法を国会に出すことになっており、もし野党が多数派になって反対すると国債が発行できず、デフォルトになってしまう。そこで大平正芳は安定財源を求めて欧州の付加価値税(VAT)のような一般消費税を公約に掲げたが、政局に利用されて1979年の総選挙で大敗した。
中曽根康弘は国会で「流通の各段階で投網をかけるように総合的に税金をかける考えは持っていない」とVATを否定したが、結局1987年に卸・小売に5%課税する売上税の法案を国会に提出した。これは製造業にはかけない「日本型付加価値税」だったが、国会で野党に「嘘つきだ」と批判を浴びて廃案になった。
そこで大蔵省は田中派の政治力に期待し、消費税ができたのは竹下内閣の1989年4月だった。これは大平内閣の原点に戻ったVATで、税率も3%とスモールスタートだったが、運悪くリクルート事件に遭遇し、満身創痍の竹下首相は法案成立と引き替えに退陣した。このとき国会で税法改正してからわずか4ヶ月で増税したため、制度にいろいろな穴があいたままの見切り発車だった。
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