Pursued Economy: Understanding and Overcoming the Challenging New Realities for Advanced Economies (English Edition)
本書は『追われる国の経済学』の改訂版で、中身もほとんど変わらないが、重点の置き方がちょっと違う。前著では経済の成熟した「追われる国」では金融政策はきかないので「最後の借り手」としての政府の役割に重点が置かれていたが、本書では為替レートの役割を強調している。

昔の貿易理論では為替レートは購買力平価で決まり、貿易赤字の国の通貨は弱くなると考えたが、現実には大きな貿易赤字を抱えるアメリカのドルが世界の「一強」になり、ユーロも円も弱くなっている。「正しい為替レート」を決める理論は存在しないが、その動きを説明するのは実質金利の均等化である。

日本の長期金利は2010年代、実質金利でみると、ほぼ一貫してマイナスだった。アメリカの実質金利はこれより2~3%高かったので、投資家は円を借りてドルで投資する。黒田日銀はゼロ金利の円資金を大量に供給したが、これがドルに転換され、円安が進んだ。

この結果、アメリカの「長期金利ー予想インフレ率」に連動して、ほぼゼロ金利だった日本の長期金利が上がった。2021年までは急速なインフレに金利上昇が追いつかなかったので、実質金利は日>米だったが、ウクライナ戦争のころから米>日になって金利差が拡大し、ドル高になった。

currency_gbpjpy_long_202307
日米実質金利差とドル円レート(株式マーケットデータ)

資本収益率の最大化が空洞化を招く

ゼロ金利によって投資機会の少ない日本から、資金需要の旺盛なアジアの新興国に直接投資が増え、製造業の空洞化が起こった。これは黒田総裁にとっては意図せざる結果だった。彼は円安で輸出が増え、景気がよくなると思ったのだが、その逆に貿易赤字になり、円安が続いても企業は帰ってこなかった。

実質金利の均等化は、実物面でいうと資本収益率の均等化である。これによって企業収益が最大化され、低収益企業がつぶれ、労働者が収益率の高い企業に移動することが国内経済では望ましいが、開放経済では必ずしもそうではない。

日本でつくっていた電機製品が中国でつくられるようになると、その工場で働いていた労働者は職を失う。この場合も中国から製品輸入すれば、労働を輸入しているのと同じなので(海外生産を加えた)GNPでみると効率は上がっているが、国内の雇用は減る。

労働が国際的に移動できれば問題ないが、大部分の労働者は国境を超えて移動できないので、国内で付加価値の低い流通業などに転職せざるをえない。これが1980年代からアメリカで起こり、90年代から日本で起こった変化である。これは不可逆で、通貨が弱くなっても海外拠点は戻ってこない。

要素価格の均等化が賃金格差を生み出す

このような資本収益の均等化は、リカード以来よく知られている要素価格の均等化の結果であり、貿易自由化はほとんどつねに望ましいが、資本自由化は必ずしもそうではない。資本の最適配置の結果、労働市場に大きな賃金格差をもたらす可能性があるからだ。全世界で資本自由化を求める「ワシントン・コンセンサス」は先進国で格差の拡大を生み出す可能性がある。

ではどうすればいいのか。これについての著者の提言は具体性を欠く。資本が瞬時に世界を移動できるのに対して労働移動はむずかしいので、国際資本移動を規制すべきだというが、これほど巨額の資本移動が毎日起こっている世界で、どうやって規制するのか。それこそ著者のきらう保護主義ではないか。

ただ日本経済の長期停滞の原因が単なる需要不足ではなく、開放経済で企業が資本収益率を最大化した結果だという指摘は当たっている。このような構造的な問題の所在がほとんど認識されず、今年度の経済財政白書が「デフレ脱却へのチャンスが訪れている」というタイトルをつけるようでは、日本経済の衰退は止まらない。