中世哲学入門 ――存在の海をめぐる思想史 (ちくま新書)
福島の処理水をめぐる議論の中で、科学的データで追い詰められた反原発派がよく使う言い逃れに「科学に絶対はない」というのがある。トリチウムが「生体濃縮」する可能性もある。サンプル以外の水に未知の放射性物質が含まれている可能性もゼロではない。

その通りである。科学に絶対はない。それは経験則にすぎないので、どんな可能性も論理的にはゼロではない。太陽が今日まで昇っても、あす絶対に昇るとは断定できないのだ。これはヒュームの問題としてよく知られているが、中世哲学でも、存在の一義性が重要な問題だった。

神は唯一の存在なのか。その普遍性は個物に先立つのか。ここで普遍を先天的な実在と考える実在論と、個物の集合体の名称と考える唯名論は、根本的な世界観の違いである。通説では「普遍論争」を通じて、ドゥンス・スコトゥスなどの実在論に対立したオッカムの唯名論が、近代科学への道を開いたと理解されている。

しかし著者はそうではないという。近代への道を開いたのは、普遍が個物に先立つと考えたスコトゥスのほうだった。中世哲学を前近代的な「スコラ神学」と考えるのは誤りで、それはカントの観念論で完成したのである。

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