
この投稿が炎上しているが、その発火点は「軍事研究が学問だとさ」という大石雅寿氏(国立天文台准教授・学術会議正会員)の投稿である。ここには軍事の蔑視だけでなく「技術は科学ではない」という理学部系によくある思い込みがあるが、これは誤りである。科学は本質的に技術なのだ。
学問(エピステーメー)と技術(テクネー)を別の知識と考えるのは、古代ギリシャから同じである。中国では印刷術も火薬も発明されたが、産業革命は起こらなかった。それは学問と技術がまったく別の知識だったからだ。
学問の担い手はエリートで、その条件は古典を暗記することだったが、技術は職人が経験的に蓄積した知識で、体系化されなかった。ヨーロッパ中世でも最高の知識人は、聖書やアリストテレスを読んだ聖職者だったので、オリジナリティは重視されず、イノベーションには価値がなかった。
それを変えたのは、16世紀の植民地戦争と軍事革命だった。学問で戦争に勝つことはできない。特にアジアや新大陸を支配したイギリスにとっては、古典は役に立たなかった。大砲や爆弾などの重火器が生まれ、異民族と戦うには実証的な知識が必要になった。
しかし観察や実験だけで科学はできない。新しいパラダイムが生まれるには、聖書とは違う理論が必要だった。ニュートンは神学者であり、『プリンキピア』は神の構築した宇宙の秩序を数学的に説明するものだったが、結果的には天動説よりはるかに正確に天体の運行を予言した。
その数学理論は、大砲の軌道計算に使われた。相手をねらう鉄砲とは違って、重火器は軌道計算ができないと役に立たない。天文学が軍事技術に応用されたことで、各国は競って科学技術に多くの人材を動員し、近代科学が飛躍的な発展を遂げたのだ。
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