処理水の海洋放出を前に、またトリチウムをめぐる騒ぎが盛り上がっているのは、それが日本人の「古層」にあるケガレの感覚に訴えるからだろう。だがそれは日本人の特殊性ではない。メアリ・ダグラスの古典でも知られるように、排泄物や死体などをタブーとして便所や墓地に隔離することは、定住社会で感染症から身を守る重要な慣習だった。
しかし人類の大部分は狩猟採集民として移動生活を送っていたので、子供は排泄物を始末する行動を遺伝的に身につけていない。これを教え込むためにケガレの観念ができ、汚れていないカミ(神=上)の信仰が生まれた。これは初期には祭祀に使われる土偶や土器のような物だったと思われ、縄文時代には多くの土器や土偶が出土している。
カミは大小便や血などのケガレとは無縁の清い存在なので、その御神体は山の中に置かれ、人々はそこに集まった。それは環境汚染からの自衛策だったが、集落の規模が大きくなるにつれて観念的なタマ(魂)が崇拝の対象になり、その代理人としてシャーマン(巫女)が出てきた。天皇はその延長上で生まれたヒトガミの集約だった。
日本人は「無宗教」だといわれるが、宗教という言葉は明治時代にキリスト教をモデルにしてつくられたもので、このような日本人の信仰を表現するには適していない。というよりキリスト教と仏教以外のほとんどの宗教は、僧侶や教団などの組織をもたない点で宗教とはいえない。むしろ日本人のカミのほうが普遍的なのだ。
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しかし人類の大部分は狩猟採集民として移動生活を送っていたので、子供は排泄物を始末する行動を遺伝的に身につけていない。これを教え込むためにケガレの観念ができ、汚れていないカミ(神=上)の信仰が生まれた。これは初期には祭祀に使われる土偶や土器のような物だったと思われ、縄文時代には多くの土器や土偶が出土している。
カミは大小便や血などのケガレとは無縁の清い存在なので、その御神体は山の中に置かれ、人々はそこに集まった。それは環境汚染からの自衛策だったが、集落の規模が大きくなるにつれて観念的なタマ(魂)が崇拝の対象になり、その代理人としてシャーマン(巫女)が出てきた。天皇はその延長上で生まれたヒトガミの集約だった。
日本人は「無宗教」だといわれるが、宗教という言葉は明治時代にキリスト教をモデルにしてつくられたもので、このような日本人の信仰を表現するには適していない。というよりキリスト教と仏教以外のほとんどの宗教は、僧侶や教団などの組織をもたない点で宗教とはいえない。むしろ日本人のカミのほうが普遍的なのだ。
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