脱炭素運動もウクライナ戦争で頓挫し、終幕を迎えたようだが、いまだにわからないのは、この科学的にも経済的にもナンセンスな運動が、なぜこれほど長く続き、世界的に拡大したのかということだ。本書はこれを冷戦期のドイツの歴史から説き起こす。
1960年代に西ドイツでも、ベトナム反戦運動が起こった。そのイデオローグはアメリカから帰国したフランクフルト学派で、マルクーゼは旧左翼が敗北したのは労働者が豊かになって体制に取り込まれたからだと考え、資本主義の豊かさを否定する闘いが必要だと学生を煽動した。
豊かさを否定する闘いの目標としてアメリカで選ばれたのは人種差別だったが、ドイツでは環境破壊だった。ドイツ人には自然回帰の傾向が強く、森林破壊に反対する右派が1977年に「緑の党」を結成した。そのロゴマークを描いたのは元ナチス党員で、太陽はナチスのシンボルだった。

緑の党のロゴマーク
他方ベトナム反戦運動が衰退すると、学生運動の残党は反公害運動に転身し、泡沫政党だった緑の党への「加入戦術」で党を乗っ取った。1980年代にNATOの巡航ミサイルと戦術核がドイツに配備されると、全ヨーロッパで平和運動が起こり、緑の党はその中心となった。
ソ連は「平和運動」を支援し、東ドイツの秘密警察は西ドイツ国内に多数の工作員を送り込んで原爆と原発を混同させる宣伝戦を繰り広げた。これによって反原発運動が始まり、環境活動家が生まれた。それは冷戦でソ連が西側を分断するために送り込んだ「トロイの木馬」だったのだ。
続きは7月24日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)
1960年代に西ドイツでも、ベトナム反戦運動が起こった。そのイデオローグはアメリカから帰国したフランクフルト学派で、マルクーゼは旧左翼が敗北したのは労働者が豊かになって体制に取り込まれたからだと考え、資本主義の豊かさを否定する闘いが必要だと学生を煽動した。
豊かさを否定する闘いの目標としてアメリカで選ばれたのは人種差別だったが、ドイツでは環境破壊だった。ドイツ人には自然回帰の傾向が強く、森林破壊に反対する右派が1977年に「緑の党」を結成した。そのロゴマークを描いたのは元ナチス党員で、太陽はナチスのシンボルだった。

緑の党のロゴマーク
他方ベトナム反戦運動が衰退すると、学生運動の残党は反公害運動に転身し、泡沫政党だった緑の党への「加入戦術」で党を乗っ取った。1980年代にNATOの巡航ミサイルと戦術核がドイツに配備されると、全ヨーロッパで平和運動が起こり、緑の党はその中心となった。
ソ連は「平和運動」を支援し、東ドイツの秘密警察は西ドイツ国内に多数の工作員を送り込んで原爆と原発を混同させる宣伝戦を繰り広げた。これによって反原発運動が始まり、環境活動家が生まれた。それは冷戦でソ連が西側を分断するために送り込んだ「トロイの木馬」だったのだ。
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