Risk and Culture: An Essay on the Selection of Technological and Environmental Dangers (English Edition)
ALPS処理水についてのIAEA報告書をめぐる騒ぎを見て、あらためて日本人のケガレ意識の強さを痛感した。このような感情は、遺伝的なものではない。人類は600万年の歴史のほとんどを狩猟採集の移動生活で過ごしてきたので、汚物を避ける習慣を身につけていないからだ。

乳幼児は、しつけないと排泄物の処理ができない。今でも移動生活するブッシュマンにはゴミや排泄物を処理する習慣がなく、それが汚いという感情もない。ケガレの感情は、1万5000年前から人類が定住し始めたあと身につけた文化遺伝子なのだ。

中でも疫病は、最大のタブーだった。人々はそのリスクをケガレとして表現し、疫病で死んだ人を集落から隔離した。彼らには感染の原因はわからなかったが、死者から距離を置かないと危険だということは経験的にわかったので、死者を墓地に埋葬して集落から隔離した。

現代の環境主義運動もこのような宗教的カルトだ、とメアリー・ダグラスは指摘する。彼女が『汚穢と禁忌』で明らかにしたように、リスクは自然現象ではなく、個人の心理の問題でもない。それは社会的につくられ共有されるタブーなので、科学的に啓蒙するだけではカルトはなくせないのだ。

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