戦間期のウィーンは、20世紀の科学の方向を決める重要な発見を生み出した。シュレーディンガーが波動方程式を発見したのはウィーンであり、同じ時期にドイツでハイゼンベルクが不確定性原理を独立に発見し、両者は数学的に同一であることが証明された。敗戦で混乱と貧困のどん底にあったドイツとオーストリアで、20世紀の物理学がほとんど完成されたのはなぜだろうか?
本書は、この謎の答を決定論の放棄に求めている。物理学者は、それは時代状況とは無関係な論理的必然だったというだろうが、シュレーディンガーなどが数学的に定式化した実験的事実は、第一次大戦前にすべて発見されていた。量子力学を完成するために必要なのは、実験ではなくアイディアだった。ファインマンは、有名な講義のなかでシュレーディンガー方程式を説明したあと、こう述べている。
事実から理論は帰納できない。量子力学は、戦争ですべてを失い、実験もできないウィーンの研究室で、観念として結晶したのだ。量子力学は、古典力学的な素朴実在論では理解できない。物理量は確率分布としてしかわからないという波動関数や、物質の位置と運動量は一義的には決まらないという不確定性原理は、古典的な物質の実在や因果関係の概念をくつがえすものだった。
その理論が、すべての価値が崩壊した戦間期のウィーンで生まれたのは偶然ではない。ウィーンは19世紀の知的遺産が集まる焦点となり、そこから20世紀の新しい文化が生まれた都市だった。戦災とハイパーインフレで破壊されたウィーンで、人々は永遠の未来まで予見可能なニュートン的秩序が崩壊し、世界は本質的に不確実で、人間の意志で運命を決めることはできないと知ったのだ。
続きは7月10日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)
本書は、この謎の答を決定論の放棄に求めている。物理学者は、それは時代状況とは無関係な論理的必然だったというだろうが、シュレーディンガーなどが数学的に定式化した実験的事実は、第一次大戦前にすべて発見されていた。量子力学を完成するために必要なのは、実験ではなくアイディアだった。ファインマンは、有名な講義のなかでシュレーディンガー方程式を説明したあと、こう述べている。
この方程式はどこから得られたのか。どこからでもない。これを諸君の知っているどんな事実からも導き出すことはできない。これはシュレーディンガーの精神から生まれたものである。
事実から理論は帰納できない。量子力学は、戦争ですべてを失い、実験もできないウィーンの研究室で、観念として結晶したのだ。量子力学は、古典力学的な素朴実在論では理解できない。物理量は確率分布としてしかわからないという波動関数や、物質の位置と運動量は一義的には決まらないという不確定性原理は、古典的な物質の実在や因果関係の概念をくつがえすものだった。
その理論が、すべての価値が崩壊した戦間期のウィーンで生まれたのは偶然ではない。ウィーンは19世紀の知的遺産が集まる焦点となり、そこから20世紀の新しい文化が生まれた都市だった。戦災とハイパーインフレで破壊されたウィーンで、人々は永遠の未来まで予見可能なニュートン的秩序が崩壊し、世界は本質的に不確実で、人間の意志で運命を決めることはできないと知ったのだ。
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